昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第3章 営林署から 第20話「ある見送り」

私が現場にいた時、一人の署長が退職した。誠実で責任感が強く、本当に人徳豊かな人物であっただけに、突然の退職は惜しまれるところがあった。

いよいよ任地を去る日に、見送りに行くべく単車の準備をしていると苗木が送られてきた。時間が差し迫っていたが、仕方がないので山元へ行き検収し、仮植の指示をした後、駅へと単車を飛ばした。

やっとの思いで駅にすべり込むと、既に向こうの上り線のホームから大勢の人たちが出口に向かっている。汽車は発車した後であった。わずかの違いで見送れずしょげきっていると、向こうのホームからTさんがきょろきょろしながら出てきた。

 「やあ、一寸の違いで遅れてしまって」

バツが悪そうに話す私を見て、彼は

 「いや、僕もこの汽車だと聞いて見送りに来たが、署長は乗らなかったよ。これから署に電話して、時刻を確かめてみるところだ」

彼はそういって駅前の電話ボックスに入った。

 「次の汽車に変更になったそうだ」

そう言って駅の待合室に入り、時刻表を見て発車時間を確かめた。

 「これならまだ二時間近く時間があるな」

 「うん、かなり長いな」

冬の寒さが地面から伝わり、そのうえ単車で走ってきたので、体は芯まで冷え切っている。

 二人はどちらから誘うでもなく、待合室が良く見える、駅の真向かいの店に入った。

 火のつけられたおでんの鍋から、暖かそうな湯気が盛んに出ている。

 とにかく特効薬で軽くやろうと、大きな声で熱燗を頼む。奧の方から女子プロレスラーのような体格をした娘がのっそりと運んできた。コップを二つ出し、酒を注ぐとまた奧の方に消えていく。酒が腹の底にジーンとしみ込むと、寒い山道をほこりを食いながら走ったことなど全て忘れてしまい、腰を据えて酒をぐいとあおる。

 時々顔を出す娘をおだてたり、ひやかしたりしているうちに、いつしか時間が過ぎていく。

 

 「署長はおそらく、三十分前には駅に着くだろう。その前に店を出ようや」

彼は古ぼけた柱時計に視線を合わせながら、落ち着いた口調で言った。

 「それならぼつぼつ行った方がよいのじゃないかね」

 「なに、まだ大丈夫だよ」

落ち着きはらったものである。コップ酒も既に三杯を超えている。

 「そろそろ署員が来ておるんじゃないかね」

私は妙に気になって駅を見た。

 そして、その瞬間、ガンと一撃を浴びたような衝撃を受けた。心地よい酔いもいっぺんに吹き飛んでしまった。汽車は見送りの人々を残して発車し、最後尾の客車が、かすか遠くに目にとまったのである。

 「Tさん、今、上りの汽車が出たが、あれじゃなかったのかね」

 「大丈夫、時刻表を確かめてあるから、まだ出ることはないさ」

Tさんの声を聞きながら駅の出口にはき出される人の顔を見ていると、署員がぞくぞくと出て来るではないか。

 「Tさんよ、こりゃおおごとぞな。見送りの署員が駅から出てきたがな」

 

彼はびっくり仰天した。そして駅へ走り時刻表を確かめてみると、これは大失敗、下り列車の時刻を見ていたのだ。だが、慌てふためいても後の祭り。汽車はもう遥か高松をめざして突っ走っている。

あれほど忙しい思いをして駅まで急ぎながら、縄のれん一つへだてた場所に座っていて、見送りにはぐれ、大失敗をやったのである。

 

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