第3章 営林署から 第19話「奥日光のシカ」
私は、国有林の仕事を通じて、妙に動物たちとつきあうことが多かった。
シカとイタチとウシ。そして、これは間接的ではあるが国際保護鳥のトキである。
シカは狩猟用として、イタチは野ネズミ退治用として、ウシは肉用牛として、それぞれの増殖に携わり、また、トキの自然繁殖にもかかわった。
色々と苦労もしたが、今ではこれらの動物が懐かしく思い出される。
奥日光の男体山の裏側には、我が国唯一のシカの国営猟区がある。大型の獣を撃てる猟区は魅力的であり、入猟者は政財界の著名人も多かった。三橋達也など映画スターの名も耳にしたものである。
この猟区の経営は営林署が行っており、猟区の主任は日光担当区である。猟区内のシカの推定生息数は五百頭とも七百頭とも言われていた。毎年、冬期の土日が猟の日と定められており、平均して四十人の狩猟家が入山し、一冬で約五十頭が獲物となっていた。
五千ヘクタールの猟区は十数箇所に区画され、前日の目撃情報により「明日の猟場は第何号にしよう」と作戦会議が開かれる。当日は十数名の勢子を連れてお客を猟場に案内し、勢子が追い出したシカを客が一列に並んで一斉に撃つ。
普通、一回の猟で一、二頭は仕留めていたものが、昭和三十六年頃からパタリと獲れなくなった。一冬で十頭にも満たない状況となってしまったのである。
東京からわざわざ泊まり込みで来るのに、シカを撃つどころか、姿さえ見ることができないため、林野庁でも問題となった。
この猟区の奧には栃木、群馬、福島の県境があり、人跡未踏の深山が綿々と連なる。また、猟区は東南に向き日当たりが良く、ナラをはじめとする広葉樹も多いことから、シカの生息場所としては理想的である。
ところが、営林署の伐採が進み、人工林が増えていくにつれ、ドングリ等の餌とシカの隠れ場がなくなった。
いきおい、シカは奥地へと逃げていき、猟区にはすっかり現れなくなってしまったのである。
早速、林業試験場の専門家を現地に呼び、対策を練ってもらった。
猟区内の伐採は縮小し、伐採区域は連続せず、シカが隠れることが出来るよう保残帯を設ける。また、沢筋も水飲み場として伐採せず保残する。シカの好む牧草を林内に栽培する。時折食塩を林内に置き、健康増進を図る等々。
営林署はこの方針に従い対策を講じたというが、それから十年、先日、偶然ながら日光の猟区について話を聞く機会があり、かつての対策が実を結んでシカが増えつつあるとの話を聞いては、心中快哉を叫んだものである。
シカに関して我々を悩ましたものは、野犬と密猟者である。これらにより失われるシカの数は、狩猟によるものより多いとの推定さえあった。
野犬はもとは捨て犬であり、人を見れば遁走するが、時には牙を剥くこともある凶暴なケモノである。
シカを追う野犬は一匹ではなく、チームワークを組んでいる。三、四匹が追い出しにかかり、一、二匹がこれを待ち伏せして倒し、皆でむさぼり喰う。
犬に追われたシカがたまりかねて中禅寺湖に飛び込み、溺死することも毎年一、二回あった
時折、ワナを仕掛けては処分したが、実にすばしこいため、なかなか退治出来ずに苦慮したものである。
野犬と並ぶ悪者は密猟者である。
猟期以外に銃声が聞こえた場合、それはたいがい密猟者の仕業であるが、山は深く険しいことから彼らを林内で捜し出すのは至難の業である。
また、密猟者は、一週間ぐらいは平気で野宿し、夜陰に乗じて逃亡する。やり方も巧妙であり、シカを撃つ者と肉や皮を運ぶ者が分業制をとるため、簡単には捕まらない。
私も、山道を足早に下りてくる屈強な二人連れに出会ったことがあるが、殺伐な面構えといい、用意周到な支度といいタダ者ではなかった。
問い質しても山菜採りと言い張るが、司法警察権を発動してリュックの中を見たところ、血の匂いのする刃渡り一尺以上の山刀が出てきた。彼らは、下山時に鉄砲を山中に隠すのである。直ちに警察に連絡して住居を調べたところ、予期したとおり多数のシカ皮と角が出てきた。
この時は、こちらも人数が多かったので心強かったが、逆の場合は、こちら側が身の危険を感じることもある。
狩猟と言えども、獲るだけでは駄目である。増やすことも考えねば元も子もなくしてしまう。狩猟ブームは高まる一方と言われており、国有林もこれに本格的に取り組む日が近いのではないか。