昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第3章 営林署から 第14話「出納員哀歌」

営林署の経理課にいると、必然的にやらなければならない仕事の中に支払いがある。

 現金出納員として、此方の谷の部落からそちらの野辺の部落へ、山を越え、谷を横切って、国有林の仕事に出役した人達の賃金を支払って回るのである。

 また、現場で購入した石油、砥石等の物品代や、オートバイ・刈払機の修繕代の支払いなどもある。

 とにかく、そんな種類の代金をリュックサックに詰め込み、オートバイに乗って石ころだらけの道を走り回るのは並大抵のことではなく、あらかじめ担当区主任を通じて連絡はするものの、何らかの都合で約束していた時刻に到着出来ないこともしばしばある。

 

植付や下刈の場合は大勢の人夫を必要とすることから、地元から何十人、多い時には百人以上の人たちをまとめて雇用する。

部落によっては、この時期は国有林の仕事しかないような所もあることから、翌月の支払い日にあっては、出納員の到着が少々遅れても、皆、支払いが来るのを待っている。

一方、林野巡視や境界巡検などの仕事は、どちらかと言うと散発的であり、ある部落からの出役は、ひと月に僅か一人、しかも出役日数は三日間程度といったことも珍しくはない。

しかしながら、支払いは一人でも百人でも同じであり、よくもこのような山の中に住んでいるものだと感心するような平家の落人部落のような所でも、たった一人のために出掛けて行く訳であるが、ここでもう一つの苦労がある。

 

 国有林の巡視を手伝うような人は、大抵、その部落の中でも信用確実な人である。あいていに言えば資産家である。したがって、営林署から支払われる僅かな賃金などあまりアテにしていない。

 このため、出納員が、何らかの都合で、あらかじめ連絡していた時刻に姿を見せない場合、相手は、待っていた時間に営林署の人が来ないから「それではちょっと畑まで行って来ようか」ということになるが、こんな山の中のちょっととは最低でも一時間で、出たが最後「半日帰って来なかった」ということも珍しくはない。

 また、受取を任された奥さんも、「ちょっとその辺りまで」と牛の草刈りに行ってしまったり、中には、営林署から支払いが来ることをすっかり忘れ、朝から夫婦そろって畑に出てしまうようなこともある。

 そんな所へ悪路と戦い、やっとたどり着いた時の出納員の気持ちほど、惨めなものはない。

 田舎だから家の鍵などかけてあるはずもなく、玄関に腰をおろして誰かが現れるのを気長に待つしかないが、どうかすると、待機の姿勢に移る前に、腰の曲がった婆さんがひょっこり母屋の裏手の方から現れることがある。 

 だが、そんな婆さんは耳が遠いのが普通で、耳元で怒鳴っても、その土地の言葉で言わないとなかなか通じない。

 「営林署から支払いに来ました。ご主人はどこに行かれましたか」

 ようやくこちらの目的が分かっても、その婆さんの答えは

 「ああ営林署の人かい。息子は先刻までいたがのう」

 この婆さんの「先刻」は五分前か一時間前か、知る由もない。

 

  婆さんが現れない時は、青ばなを垂らした子供が奧から姿を見せる。うさん臭そうな目つきで、上から下まで出納員をじろじろ見る。

 「父ちゃんはどこへ行った」

 「父ちゃんは畑だ」

 「畑はどこだ」

 「畑はあっちだ」

 「あっちはどっちだ」

 「秀ジイの畑のとなりだ」

 これでは話にならない。

  山奧の部落に行くと、こんなことはザラにある。 

 大体、昼間はこんな調子だから、支払いに限らず、担当区の仕事は、農作業が終わる頃を見計らって相手を訪問することが多い。再度、こんな山奥に来ることを考えれば、この方がはるかに効率的である。

 

 営林署を出発する時、旅行命令と同時に、別段、指示は受けていなくても、善良な職員は、仕事を一刻も早く、かつ、確実に済ませるため、真っ暗な山道をヘッドライトを頼りに走り回る。

 事情を知ったやつに待ち伏せされ、棍棒でポカリとやられたらどうしよう。多い時には百万円以上、少ない時でも二、三十万円の現金は大抵、持っている。ハンドルを握りながらそんなことをふと考えて、思わず、ゾッとすることがある。

 しかしながら、国有林がそこにある限り、出納員は、危険と現金を一杯にはらませたリュックサックを背に、営林署から東へ西へとオートバイを走らせていくのである。

 

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