昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第1章 現場から 第6話「冬のパイロットフォレストを守る人たち」

 標茶営林署から二十二キロメートル。湿原地帯に阻まれたため、かつては人跡未踏と言われたこの無立木地も七千二百ヘクタール余りの巨大な造林地となった。

 事業の最盛期にはたくましい機械の音に加え、連日、見学に訪れる人たちで活気を呈するこのパイロットフォレストも、今は深い眠りにつき静まりかえっている。

 この広大な造林地を、冬の猛威と闘いながら、野ウサギや野ネズミの被害から守り続ける越冬隊は八名。太田造林事業所に詰めながら、毎日、地道な作業を続けている。

 

 まず、今年ほど雪の少ない年はない。

 野ウサギの捕獲は、その足跡を追って通り道に針金のワナを仕掛けるため、ある程度の雪が降ってくれないと野ウサギが自由に跳ね回ってしまう。野ウサギの通り道が固定しないと、仕事がやりにくくて仕方がない。

  事業所近くの造林地は、木が大きく成長しているため被害も少ないが、若い造林地は野ウサギにとって絶好の餌場となる。野ネズミのように毒餌散布により一網打尽する訳にもいかないため、とにかく林内を歩き回り、野ウサギの通り道のようなところを見計らっては伏せわなや三角わなを仕掛けるしかない。それでも、二月六日現在で二百羽近く捕獲したが、相手は雪がないことを幸い林内を跋扈する。

  今年の見回り面積は千五百ヘクタールで、これまでに六百ぐらいのわなを仕掛けた。これを見回りに行って、野ウサギが二羽でも三羽でもかかっていると、私たちがやっている仕事も無駄ではなかった感じる。

 野ウサギは、昔から見るとかなり減ってきたが、厚岸町の牧場にはまだ相当数が生息している。お隣の大湿原が冬に凍結すると、ウサギはこちら側に渡ってくる。渡ってしまえば、パイロットフォレストは南斜面にあることから日当たりも良く、カラマツなど餌も豊富にあることから、彼らにすれば天国そのものである。

 

 もう一つの脅威は山火事である。

 二月の山火事など、普通、道東地方では普通考えられないが、今年は数十年来の暖冬で積雪がなく、パイロットフォレストに近い浜中町釧路市の原野では野火が発生している。造林地で出火すると大面積を消失する危険があるため、越冬隊は毎日、望楼に登って周囲を確認する。

  また、大面積の一斉造林地を成林させるため、全域を五十ヘクタールほどの単位に分け、観測地点を設けている。そして、これを周期的に回っては、特に恐ろしいテングハマキ、胴枯病、落葉病、先枯病などの被害がないか注意を払いながら調査する。野ネズミについては、観測地点を更に細かく分け、早期発見、早期防除に努めている。 

 端的な言葉で言うと、造林地の健康診断。これを徹底的にやるしかない。

 

 私たちは、パイロットフォレストの事業が始まって以来、ここで勤務しているが、初めて植えたカラマツが六メートルにもなったのを見ると、よくもこんな湿原地帯で立派に育ったものだと思うと同時に、カラマツの成長に対して何とも言い難い力強さを感じる。

 夏は造林や保育に、冬は保護にとこれからも体が続く限り仕事を続けたいと思う。

 

 村上君がこんな話をしていた。

 三十四年四月、パイロットフォレストに火が燃え移ろうとした時、二晩中消火にあたったことに対し、釧路営林署が林野庁長官から表彰を受けたことがある。

 その時、カラマツの葉に「功」と入ったネクタイ止めを百個頂いたので、防火の関係者に配ったところ、ある担当区さんから

 「私たちだって三日も寝ずに山火事を防いだことがあるのに、その表彰はどうしてくれるんだ」

と言われた。

 もちろん、言った担当区さんは冗談だったろうが、その時は本当に心苦しかったと。

パイロットフォレストには大勢の視察者も来るし、完成式典もやってもらえたが、俺たちの作った山は誰も見に来ないし、記念式もない」

という冗談話をチラッと聞いた。

 これが冗談でなくなったら大変である。

 造林の成果を支える努力には、どこの山でも二つはない。

 

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