昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第3章 営林署から 第15話「えりもの治山事業」

えりもは、今から約三百年前の寛文年間には既に和人が移住し、海藻類や魚介の採取によって生計を立てていたと伝えられる。その頃、現在の国有林はまだ未開地であり、高台はカシワやミズナラ、低地はヤナギやハンノキを主体とする広葉樹林であったが、風雪に痛めつけられ、やっと地表を覆っている程度に過ぎなかった。

 こうした原生林も、江戸時代末期、和人が本格的に移住したことに伴い、家屋の建築資材や燃料用として伐採が進み、更には伐根まで掘り出して燃料としたため、急速に荒廃した。

 さらに、風速十メートル以上の日が年間二百七十日以上にも及ぶという厳しい気象条件によって、約四百ヘクタールの国有林のうち半分近くが裸地化し、残りも密度の低い草生地となった。

そして、地表の土砂は激しい風で海中に吹き飛ばされ、海藻類が住みつく岩礁に泥となって堆積した。このため、コンブなどの生育は阻害され、また、回遊魚も寄りつかなくなって水揚げ高も次第に減少した。

 さらに、家の中は戸を閉め切っても舞い込む飛砂のため寝食にもこと欠き、飲料水は濁り、眼病も絶えないなど、地元の人たちの生活を脅かすほどとなった。

 こうしたことから、昭和二十八年、浦河営林署にえりも治山事業所が設置され、はげ山回復の第一歩が踏み出された訳だが、えりもの復旧への基礎を作ったのは誰かと問われれば、私は即座にゴタだと答える。

 ゴタは冬の荒海により大量に海岸へと打ち寄せられる雑海藻の総称で、地元の人にとっては、役に立たない嫌われものであるが、もともと、このゴタは、緑化に使う堆肥の量を増やすための単なる混ぜものにすぎなかった。

 しかし、最初に行った葦簀張工や粗朶伏工ではすき間から強風が入り込み草本類が上手く活着しないため、試験的にゴタを葦簀や粗朶の下に薄く敷き込んでみたところ、ゴタの適度な粘り気と湿気が風を防ぎ、海藻類の茎のからまり合いの中から牧草の芽が出てきた。

 このため、これをさらに一歩進め、ゴタをやや厚めに敷き詰めることとし、施肥、地表かくはん、播種、覆土の上にゴタ被覆という工法を試みることとなった。

 結果は非常に良好で、風による飛散も起こさず、また、当初危惧された塩害も見られなかった。

そこで、葦簀や粗朶は地元での入手が困難なこともあって、粗朶伏工は思い切って取り止めることとし、急斜面はゴタを敷き込んだ葦簀張り、緩斜面や平地はゴタ被覆によることとした。

 また、ゴタの採取は、当初は少量のため作業員が直接行っていたが、徐々に使用量が増えたため資材購入に切り替え、単価を決めて誰からでも購入することとした。

 

ところが、ここで地元の漁業組合からクレームがついた。

 海藻類の採取権はそもそも漁業組合にあり、治山事業所が誰からでも買うとなると、浜の権利のない者も採取してしまう。そこで、採取者からは漁業組合に賦役金(手数料)を支払ってもらうというのである。

 私は、電話で話を聞いているうち頭に来た。これは、すなわちピンハネであり、漁協は自分の都合のいいことばかり言っている。部落のため、漁民のためにこの大変な仕事をやっているのに、ろくに協力しないばかりか文句ばかりつけてくる。売れるようになったからといって、ゴタに漁業権を主張するとは何事だ。それも、単に電話一本で通告してくるとは、何ということだ。

電話では組合長をどなり返したものの、ゴタの資材価格が高くなると工事に影響するし、かと言って漁協の言い分も無視する訳にはいかない。何か良い方法はないかと考えると、頭は痛かった。

そこで、ええい、ままよと腹を決めることとした。海千山千の組合長相手には意表を突くに限る。先手を打ってこちらから漁協に出向き交渉することとした。

 漁協の事務所に入るや、ニコニコしながら直接、組合長の前に行き、電話での非礼を詫びては腹をを割って相談に乗ってくれと持ちかけた。

 まずは予算の事情、事業所の将来の見通し、ゴタの効用その他、誇張を交えながら話し、おもむろにこちらの主張を切り出した。

 ゴタの採取は一括して漁協に請け負わす。大量になるかも知れぬが、必要量は無理をしても採取してもらいたい。部落民には漁業権のない人も多く、貧困家庭も多いので、浜の権利のある人のみに限定しないでほしい。また、購入単価は今の価格を上回らないようにしてほしいが、漁協は取りまとめが必要だろうから、その分ぐらいはプラスとしても仕方がなく、こういう事で手を打とうとしたのである。

 

これでゴタのごたごた問題も一件落着となった。

 えりもの治山事業を懐古するたびに思い出すのは、ゴタの山であり、ゴタの半腐れの臭いであり、このゴタ論争である。まことにゴタとはいみじくも名付けたものであり、今更ながら、ゴタの功績を称えている次第である。

 

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