第3章 営林署から 第17話「山火事」
四月も下旬に入り、萌黄色の若葉が山々を包み始めると、山火事の危険は一応薄らぐ。
瀬戸内地方の山火事は、三月をピークに一月から三月にかけて集中的に発生しており、四月に入ると急激に減少する。
しかしながら、昭和四十六年四月二十七日昼過ぎ、「大積山付近で山火事発生」との一報が西条営林署に入った。
詳細が分からないまま、まずは署の先発隊五名が現地へと出発する。
第二班以下は待機の姿勢で、そのまま業務を行う。
午後二時半、先発隊から連絡が入った。
「火はすでに大積山国有林に入っており、猛烈な勢いで延焼中である。第二班以下は至急出動されたい」
その声色には普段と違ったただならぬものが感じられた。
こうして営林署のみならず、消防署や消防団などの関係機関から人員が続々と繰り出され、以降、二十時間余にわたる消火活動が開始された。
火は消火隊の隙をついて、ある時は緩く、ある時は急に、また場合によっては爆発的な動きを見せる。現地の地形、林相、気象条件によって火の姿は刻々と変化する。
例えば、谷から尾根筋に吹き上げる火は、途中でどのような防火線をつくっても阻止出来ないほど凄まじいものである。
また、火は、可燃物の乾燥度合によっては驚くほど行動範囲を広げ、動きも敏速となる。
呉市消防局員十八名のいたましい事故は、こうした状況の中で起こった。
標高六百メートルの尾根から東南にのびる斜面は長大であり、そのはるか下方で火は燃えていた。あたりは伐採跡地であり、伐り残しの灌木と散乱した枝条があるだけで、遮るものもない。斜面のすぐ東隣りには細長い幼齢林の帯をはさんでヒノキの壮齢林がひろがっている。
消防局員十八名は、このヒノキ林に火が燃え移るのを防ぐため、その手前で防火線を切ろうとしていた。彼らの判断に誤りはなかったはずだ。
火ははるか数百メートルの下にあり、周辺には多くの同僚、消防団、自衛隊の各員がそれぞれ活動していた。日はまだ高い。今のうちに作業を進めなければ・・・
こうした中、現地では恐ろしい状況が進んでいた。空中湿度の極端な低下である。
二日前から広島県下には異常乾燥注意報が出されていた。午前十一時の湿度は十九%。気温の上昇とともに湿度はなお下がり続け、午後二時、呉市測候所の湿度計は十四%を記録していた。ちょうど十八名の隊員が作業地点を目指して下りかけた頃である。
一陣の突風が火を煽り立てた。
それまで下方で燃えていた火は急に勢いを増し、尾根を飛び越えざま、突如として伐開作業中の十八名の背後を襲った。
飛び火である。目撃者の話によると、全く火の見えなかった小尾根の裏側から、旋風で舞い上がった火が二~三百メートルもの上の斜面に飛び移ったという。
伐採跡地にはもろもろの可燃物が堆積している。一見なだらかに見える谷間も切り捨てられた枝条でいっぱいだ。火は獲物を得て一気に燃え上がった。雨後の湿った空気の中ではいくら燃やそうとしても火のつかない枝条であっても、空気の乾燥とともに恐ろしい爆発物へと変わる。
見通しのきく、燃えるものもないような斜面が、実は大きな誤算を招いた。立木があれば、いくら火の勢いが強くても燃え上がるスピードにはブレーキがかかる。火に対する生きた木の抵抗があるからだ。この場合、その助けもなかった。火は一瞬にして十八名の隊員を取り囲み、その退路を断った。この間わずか数十秒の出来事である。やがて火はジェット機のごう音を思わせる傲然たるうなりを上げ、十八名を呑んだまま一気に六百メートルの斜面を駆け登った。
山林火災史上、例をみない惨事はこうして起こったのである。
爆発的に燃え上がる火も、ひとたび尾根を登りきれば火勢は衰える。
消火活動は、この時を狙って行うのが山火事消火の定石であり、尾根にしっかりした防火線があれば大抵の火はそこで食い止められるが、火は、人の盲点をついて襲ってくる時がある。
呉市消防局員十八名の霊に合掌しつつ、あらためて山火事の恐ろしさをお伝えする次第である。