昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第6章 地元と国有林 第29話「山の神」

 山の神を祭る日取りは、必ずしも定まっていない。正月には初山、二月は春の山祭り、十二月は秋の山神祭が取り行われてきたが、いつのまにか大方の祭事が省かれ、今では事業に着手するときに入山式、終了したときに下山式が行われるに過ぎない。

 

 入山式には鹿島鳥居を奉納し、山の安全と仕事の完遂を祈願する習わしが古くから行われてきた。山麓の部落周辺にある老大木、いわゆる御神木に鳥居が数基、あるいは数十基連立されているのを時折見かけるが、鳥居の数により、この地域で行われてきた山仕事の継続年数を知ることが出来る。

また、一部の地方では、奉納する鳥居の貫に、鋸、斧、とび口など山仕事で使用する道具の絵を墨書きする。

 山の神は、ところによっては「十二山さま」とか「十二山神」と呼ぶように、多くの縁日は十二日があてられている。何故、十二日なのかについては、山の神は十二柱であるとか、十二人の子神があったからだとか言われているが、いずれも十二にちなんだことからであろう。

 山の神の縁日には、するめ、こんぶ、大根、にんじん、りんご、「うる米」の粉で作っただんごやお酒などが供え物として用いられる。このだんごは、岩手県北部ではシトネ、秋田県北部ではシトギと呼ばれている。

 山の神の供え物は、女性がこしらえてはいけない。すべて男の手で作る慣習がある。また、供え物を女性が食べると、難産するとか性格の荒っぽい子供が生まれるなど、忌み嫌われることが多い。

 

 秋田県阿仁町の山あいの部落では、毎年、十二月十一日が山の神の前夜祭、翌十二日が本祭りである。

 祭事は、五戸でグループを作って、このうち一戸が当番を務める。

 前夜祭では、おでんやきんぴらごぼう、煮付けなどが婦人方によって料理され、また、しめ縄、お供え餅、大根、にんじん、かしらつきの魚二匹、御神酒などの供え物が男たちによって取りそろえられる。

 やがて夕方になると、男たちは、神社に参拝したあと当番の家に参集し、婦人方が作った料理で酒を飲み交わす。過ぎ去ろうとしている年の無事息災や家業繁栄に対して感謝のまことを捧げ、山や農のこと、あるいはよもやま話に花を咲かせながら夜を明かすのである。

 本祭の日は、夜明けを待って男たちは裸となり、「小川の水をせきとめて、わが身に三度ソウワカ」と唱えながら全身に「ひしゃく」で水をかけて水ごりをとり、心身を清め全員そろって神社に詣でる。

 立拝が終わると、供え物を当番の家に持ち帰って、男たちがそのお下がりを頂く。前日の料理を肴に再び酒盛りを行い、一日を過ごすのである。

 我が国の古い信仰では、山や森、老木には神が宿っているので、大木を御神木として扱うことが多い。また、二又木、三又木の老大木は、山の神の休み場所であるから伐ってはいけないとされている。こうした木の樹冠は偏ったものが多く、これを伐ろうとすると方向が定まらず危険なため、御神木として残存し、崇拝するようになったとも考えられる。

 

 秋田県阿仁町では、集材手たちが力を合わせる時、音頭をとる掛声に調子をとる言葉がある。

 「音頭掛声 サノコレヤ

   あわせ掛声 ドッコイショット

   サノコレワイサ ヨイトコショット」

 掛声の頭言葉である「サノ」は女神の名前である。

 女神であるから、女は嫉妬されるが男性は愛される。このため、山で働く男たちは、入山する時には必ずひげを剃り、理髪して身だしなみを整えるという。

 

 かつて、山村の重要行事として古くより行われてきた山の神も、今では一部の地方で、しかも林業に直接関わりのある職場において、かろうじてその伝統が引き継がれ、祭事が催されているに過ぎない。

 しかしながら、そうした中にも、先人達の素朴な面影をかいま見ることが出来る。

 かつてみちのくの山村で勤務し、地方のしきたりによる上山式、下山式などの祭事に招かれるなど、山の神にまつわる風習を見聞する機会に恵まれたことから、その一端を紹介した次第である。

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第6章 地元と国有林 第28話「初雪の木曽谷」

「管理官の急用は、いつも深夜の電話から始まる」

木曽谷の駐在とは会う度毎にこう言われる。本当に申し訳ないと思うが、田島から奧、八百余人の大世帯を世話しているのは営林署の事業用電話しかない。このため、事故が起きるとこうして駐在に電話をかける訳だが、不運にも大きな事故は決まって夜中に起きる。

酒酔いで旅館のガラス戸を割ったのは夜の十一時頃、ある事故の検視を依頼したのも深夜、飯場で凶器を振り回して暴れたのも深夜、モーターカーが御岳湖に飛び込んだのも寒い冬の夜であった。

 そして今回の件でも、結局、駐在さんに深夜、電話することとなってしまった。

 その日私は、御嶽山の五合目にある、初雪の白衣装をまとった小さな旅館に泊まっていた。

 夕刻、若い女性がハイヤーから降りた。二十五、六歳位の魅力的な女性である。和服姿で羽織なし、小さなハンドバック一つの一人旅である。御岳信者の白装束一人旅なら時々見かけるが、どう考えても場所と時期に、女の晴着姿が似合わない。

「これは失恋自殺の旅だ」

旅館の主人も同じ意見であったが、ハイヤーは既に帰ってしまい、女を追い返すすべもない。

宿の女将が応対した。

「明日はどちらへ」

「大阪へ帰ります」

「お顔の色がすぐれないようですが」

「いいえ、別段」

まさか「失恋でも」とは聞けないし、「今晩、自殺します」など答えるはずもない。

 さて、どうするか。自殺などされたら縁起でもないと主人は言うし、とにかく未然に防ぐしかない。女将と三人で相談した結果、一晩中看視することとなった。

初雪を踏んで林の中をさまよい・・・この看視は簡単だ。旅館から出ないように見張ればよい。

 次に、この宿の中でとなれば、まずは睡眠薬だろうが、大量の薬を飲むには水がいる。そうだ、水を遠ざけることだ。ご飯中はずっと付き添い、食事が済んだら一切の食器を下げ、水差しとコップは絶対に置かない。

 打ち合わせが終わるとホッとする反面、もしかしたら取り越し苦労ではないか、といった馬鹿さ気分も半分ほどあった。

 

 夕食には女将が同席した。酒の注文もあったが、味気ない酒だったのか、あまり多くを語らず食事も終わり、空のトックリが食膳と一緒に下がってきた。 

 夜の十時半ごろ、水を飲みたいと注文が来た。水を飲み終わるまで女将をつけるはずだったのだが、あいにく水を運んだのは旅館の婆さんだった。

 婆さんは、水を届けて女と話を始めた。風土のこと、御岳信者のこと、姉妹や親のことなど話が随分とはずんだようだ。お土産の話まで出て、婆さんにはすっかり親孝行の娘に見えたらしい。

「この土地のお土産は何がよいでしょう」

「明日家に帰るのであれば、木曽菜の漬物を持ってゆきなさい。お母さんが喜びますよ」

「ハイ、御嶽山の雪の話もよいお土産です」

「今晩はもう遅いからお休みなさい」

「ハイ、では休ませていただきます」

つまり、婆さんは、すっかり安心しきって、水差しとコップを置いたまま下がってしまったのである。

 

夜十二時近くである。

 廊下をつたわって、太い大きなイビキが聞こえてくる。男のものでもなく、女のものでもない、異様なイビキである。

 おかしい、あの女の部屋だ。直ぐに女中を呼び、女の部屋に入れたが全然、起きないという。女中に頼まれ、やむを得ず私が女の部屋に入ることとなった。

 きれいな寝姿である。晴着は丁寧に寝床の横にたたまれ、白い長襦袢を着て深い眠りについている。この寝姿からこのイビキ、想像出来ないことである。

呼んでみた、ゆすってみた、とうとう頬を引っぱたいたが全く反応がない。相変わらずの深い眠りと大きなイビキ。

「しまった!」

「やられた!」

つまり婆さんが騙されたのである。婆さんが引き下がった後、水差しに残った水で薬を飲み、そのまま寝込んだのである。

 

「もしもし、駐在さん・・・」

こちらの名前を名乗らぬうちに、

「管理官からの夜中の電話はろくなことがないが、今度は何かね」

「いや済まん。今度は営林署ではないのだ。五合目の旅館で今・・・」

「男かい? 女かい?」

「二十五、六のきれいな婦人だ」

「女か、じゃ出かけよう」

「男ならこちらで始末させるつもりか? 医者も連れてきてくれ」 

「夜中に医者を起こすのも、管理官の十八番だ」

という次第で、駐在さんと医者と看護婦がこの宿に着いたのは夜中の一時を回っていた。

そして、とうとう私まで、女の胃洗浄に付きあわされてしまった。



翌朝、女を病院に移すこととなった。

 たたんだ着物の中から、「ブロバリン」のビンが転がり出てきた。

 駐在さんの背中におぶさって旅館の階段を下るとき、女のきれいな両足が、バタンコッン、バタンコッンと階段を引きづりながら叩いた。

力の抜けた女の身体は、駐在さんの肩にはさぞや重かったようだ。

 

玄関で女を見ておかしいと思い、看視をしようという判断まではよかったが、看視の具体策で失敗した。婆さんも、コロリと騙されたと残念がっていた。

女は小さな声で「スイマセン」と、ただ一言残して病院へ向かった。

 

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第6章 地元と国有林 第27話「ドブロク」

 毎年、年の瀬もおしつまる十二月十五日は、村の若い衆が一番心待ちにしている恒例の行事がある。村の家々から集められた米で作ったドブロクを、皆が集まり飲むのである。

 もう十七、八年前の話ではっきりとは覚えていないが、私は村の何か役員をやっており、また、家族も少なかったことから、その年は私の家でドブロクを仕込むこととなった。ドブロク造りは素人であったが、なかなかの出来映えとなり、十五日の朝、出来たドブロクは瓶のまま私の家から若宿衆まで運び出された。

 これを三日の間にみな飲んでしまえば何事もなかったのであるが、第一日目にとんだハプニングが起こった。

 

酒宴が盛り上がる中、役員の一人と酒屋の息子が大喧嘩を起した。

顔面に大きなアッパーを食らって血だらけとなったのは酒屋の息子の方で

「酒造法違反で訴えてやる」

と言っては若衆宿を飛び出し、家に帰ってしまったのである。

 残された一同はまさかとは思っていたが、翌朝、酒屋の親父が若衆宿へ来て「昨晩、うちのK男が税務署に電話したようだから」

と告げたことから、もはや酒盛りどころではない。

 証拠物件である瓶を隠すやら何やらで大騒ぎとなったが、その日は終日、税務署員の姿は現れず、長い長い一日を何事もなく終えたのである。

 

 瓶の中には、まだ半分以上ドブロクがある。

 村の入口で税務署員を見かけたとか、少し離れた部落が近々摘発されるらしいとか、色々な噂が飛び交うなか三日目を迎えた訳だが、さすがにこの頃になると皆、我慢が出来なくなり、「税務署なんか来るものか、脅しだよ」と誰かが言いだすと、その一言で各人が大丈夫だと言い出した。

 そして、例の瓶を持ち出し、土間へどんと据えるとドブロクを再び汲み出した。

 若い衆は、口々に酒屋の息子の悪口を言い、税務署を批判し、また、毎度始まる年寄り連中のドブロク講釈をけなし始めた。

 そして、ぐでんぐでんに酔っぱらっては怪気炎を上げる、喧嘩を始めるといった相も変わらぬ風景となった。

 ところがである。

 夕方、あらかたのドブロクを飲み干し、底の方に五合ばかり残した瓶を土間に置きっぱなしにしていたところ、突然、令状を持った捜査員が入り込み、いきなりその瓶を差し押さえた。

 万事休すである。

 支部長以下村の役員が炉端に集められ、こっぴどく叱られ、色々と詰問された。

 支部長は甘酒だと言い張ったが、相手は頑として受け付けず、アルコール度数を検査すれば分かると言って瓶ごと没収してしまった。最後は、他の者が知らないうちに四人で共謀して密造したということになったが、本当は、自分たちの手でドブロクを作ろうなどと言い出したのは私だったので、支部長には大変申し訳ない気がした。

 

 しばらく経って税務署から出頭命令が来た。

 係官からさんざん油をしぼられた末、一人につき罰金三千円を申し渡された。私たちは前科者となってしまったのである。

 幸い新聞には出なかったが、とんだドブロク騒ぎで馬鹿をみて以来、この部落では、どんなことがあっても、誰もドブロクを作ろうなどとは言わなくなった。

 

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第5章 女性から 第26話「男性職員への注文」

 つい先頃の婦人雑誌に「夫は妻に何を望み、妻は夫に何を望んでいるか」という記事がありましたが、男性が九割以上を占めている現在の職場で、職場の中でみる男性について私なりに観察し、注文をつけるとしたらどうでしょうか。

 

 毎朝、機械のように出勤して一日の仕事にとりかかり、何の変哲もないようにみられる生活の中に、男性は生涯の大半を過ごす訳ですから、考えてみれば本当にご苦労様と言いたい気持ちになります。

 主婦たるもの、せめて家庭が憩いの場となり、明日への活力を養う場であるように気を配りたいものです。家庭が安定してこそ明日に希望があり、職場の仕事に精魂を傾けられるからです。

 しかし、時々見受ける男性の中には、昨夜の麻雀の疲れか晩酌のやり過ごしでしょうか、赤い目をしながらお酒臭い息をはいている人もいます。そんな男性をみると、私生活の一面をみたようであまり感じが良くありません。

 少ない給料の中でやりくりに頭を悩ませ、せめて給料日ぐらいはと、晩酌をつけお膳を出して待っている主婦の心労を知ってか知らずか、給料袋からネオンの代金を失礼している男性もみられます。背信行為と意識してのことでしょうか、女性にとっては好感を持つことが出来ません。

 私が、職場で男性に心を打たれる時は、年齢を問わず仕事に打ち込んでいる姿です。何かしら近寄りがたい畏敬の念を感じることがあります。

 それと、仕事を一段落片づけて、ほっとタバコをくゆらせている姿にも、男性独特の安定感があります。

 そんな時のタバコはきっと美味しく感じるのであろうと、他人ながら眺めている時があります。

 

 職場のMさんは、四十代という年齢に似合わず、時には二十代のような若々しい声量で流行歌を唄ったりします。しかし、時には父親のような優しい感情をふっと感じさせることもあり、何かほのぼのとした人柄に触れることがあります。

 家庭にあっても、きっと良いご主人であり、やさしいパパなのでしょう。

 生意気な言い方かも知れませんが、何事にも労力を惜しまず、ファイトを持っている男性に女性は心を惹かれ、尊敬するのです。

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第5章 女性から 第25話「主婦の随想『十二年のくらし』」

 「お父さん、もう土岐のやまには、どこにも仕事をするところがないの?」

 「うん」

 「じゃあ、土岐はすっかり緑になってしまったのね」

 「うん、そうらしいな」

 「それじゃ、いままで現場で働いていた人たちは、これからどうなさるの?」

 「・・・」

これは、役所の仕事をあまり話したがらない夫と私の会話で、いつも最後は夫のだんまりで打ち切られてしまいます。

 夫は、土岐治山事業所に入って十八年もの長い間、転勤を知らずに治山の仕事に携わってきました。私はそのうちの十二年間を共に暮らしてきた訳です。

 

 煙たなびく土岐市に最初に下り立った時、一番賑やかな駅前通りでは陶器の姿を見ることが出来ませんでしたが、街外れに一歩出れば、まだまだ使えそうな茶碗や湯飲み、皿などが至るところに捨てられており、土岐市が陶器の街であることを証明していました。

 目を少し上に向けますと、冬枯れの山々は林立する煙突のけむりのせいか、くすんだ色の木々は薄汚れて見えました。ほうぼうでむき出しになった山肌は、陶土を掘った跡なのでしょうか荒れ果て、見るからに殺風景な様相で、里山の美しい緑を懐かしく思ったものです。

 

 役所のことは何も知らない私でしたが、昭和七年に始まった土岐の民有林直轄事業もいよいよ終了し、治山事業所も閉鎖されるとの噂が少しずつ入ってくるようになりました。

 毎年三月になると、一人ふたりと退職されたり転勤されたりして、今度は我が家の番ではないかと、転勤の経験のない私どもは、大きな不安と小さな期待とが入り混じった複雑な気持ちで過ごしてきました。

 主に山の仕事をする夫は、役所の机に向かっているより、体はくたびれるが現場に行った方が良いと、毎日、オートバイを走らせてきましたが、昨年の暮れにはとうとう現場も解散してしまい、山の仕事もなくなりました。

 そして明けて昭和四十五年、土岐で生まれ育った子供たちも、小学四年生と一年生になりました。長いようで短かった十二年間の土岐の暮らしも、三月には終止符が打たれることとなった訳ですが、今、あらためて山を仰いでみますと、私が初めて土岐に立った時の荒れ果てた山からは想像も出来ないほど、立派に緑豊かな山へと成長しました。

 四季折々の変化、朝夕の山の輝きは私たちの生活をうるおし、疲れた心をいやしてくれます。この山々が、緑の苗木を植え、育ててきた数多くの陰の人たちの労働のたまものであるということを、私たちは忘れてはならないと思います。また、その一員として、十八年もの長い間、地道に山を治め、勤め上げた我が夫を誇らしく思い、尊敬している私です。

 次の転勤地がどこになるか、今は分かりませんが、どこに行っても夫が精を出して働けるように、また、家族がいつも健康でいられるようにと気を配り、質素であっても明るく楽しい家庭を築くことが、これからの私の役目であり、務めであると思っています。

 

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第4章 仕事と趣味 第24話「釣魚賛歌」

 渓流の岩陰から、泡立つ淵目がけて愛竿を振る。理屈も何もいらない。それだけで満足である。

 川鳥が川面をすれすれに飛んでは岩陰に隠れる。淵の上の梢に止まっているカワセミが真下に飛び小魚をくちばしにはさんでいく。

 こんな日はたいてい鈞果良好と判断出来る。

 

 雪代の山女魚はおりさえすれば無造作に誰でも釣れるが、青葉の山女魚になると、春先から釣師達に攻められるため、もの怖じが激しい。人間の足音や竿のかげ、木の揺れに敏感になっている。餌も川の虫や蛾を腹一杯食べてきたため、ぜいたくにえり好みもする。

 また、山女魚は怪しい餌と悟れば瞬間に吐き出す。だから魚の当たりも微妙である。糸ふけの小さな変化に合わせ、竿を斜めにして川下に抜く。

 もし尺物がかかったら、手許が狂わないように息を潜めて静かに引き寄せる。山女魚は力持ちである。この馬鹿力が弱るのを待ってへちに寄せる。そして抜き足、差し足、川に入っていき、エイとばかりに両手で山女魚を岸に放り上げる。山女魚は跳ねる。美しい斑点のある身体で草の上を跳ねている。その時の私の胸はごっとんごっとんと高鳴り、しばらく止まない。

 鮎を川魚の王というなら、その上流に位し、体側に美しい小判状の斑紋を並べた山女魚は川魚の女王とでも言えようか。

 

 この女王は用心深い性質でありながら、水面や水中を流れるものは何でも飲み込む。そのために、淵の落ち口になわばりを作ることが多い。

「鮎ならば、はらわたを食わないと価値がない」と食通は言うが、この意見を生半可に聞いて山女魚のはらわたを食うと、とんでもない目に合う。青虫、芋虫、ムカデなど何が出てくるか分からない。大変な悪食家である。

 春先は魚体も小さく味も格別上等ではないが、七~八月になると大きくなり、焼くと背が割れるくらい油がのって味は最高となる。

 この季節になると人影は禁物で、川底と一定間隔に釣針を流す技術や、木々の間をぬって竿をさばく技術は川漁最高のもので、面白みもまた格別である。

 そして、数少ない獲物を河原で焼き賞味するのは、無上の楽しみでもある。

 

 木の葉がくれの夏の光に、岩をかむ急流がエメラルドに輝く。絵にも描けない美しさだ。そんな流れに鮎がいる。遠い日本海から広島県高津川を椛谷までのぼってきた鮎だ。日原から柿木あたりの鮎は東京方面でも他の川のものより一段格がまさるという。しかし、まだその上がある。椛谷事務所 から上流の鮎は数段、格が上である。事務所から上流で岩魚が釣れ始めるが、岩魚の住む水温で鮎が体質変化を起こすのか、岩魚の住む急流で鮎の身が引き締まるのか、それともはむ苔の種類が異なるのか、とにかく通でない者でも鮎の旨さの違いを感じることが出来る。

 

 女性の美しさをしのばせるスマートな体形、早春の柳の新芽のようなみずみずしい色合い、ただようばかりの自然の香り、これをそのまま味わえる方法がある。

「石焼き」である。

 これほど野趣に富む食べ方はないだろう。

 まず手頃な石を探す。扁平で滑らかな火成岩がいい。この石をたき火の中に放り込む。

 一時間もすれば石が白っぽくなる。真夏の河原で焚き火をしながら石を焼く。なんとも暑い話である。たき火の中から焼けた石を取り出す。玉の汗が胸を流れる。精錬所なみだ。

 ピチピチした鮎を生け簀から上げてくる。焼かれた石の上に置く。ピクピクと少し動くがジューとした音で止まってしまう。芝色の肌が少し褐色になる。味噌で味付けをする。油が浮き出しジュージューとたぎる。このころになると河原柳で作った即席の箸が我知らずのびる。ゴクンと生唾を飲み込みながらひっくり返して反対を焼く。

石の火照りが河原風に吹かれ顔が火照る。

 誰からともなくやろうじゃないかの声がかかる。

「おお」のつぶやきで柳の箸が一斉に伸びる。

 清流に投げ込まれていたビールがポンポンと抜かれる。夏の太陽も山かげに入り、河原に吹く風も急に涼気をおびてくる。

ビールもかなり空いたころ「うまい」の声が出る。誰の顔からも汗が引いている。

 そしてビールが酒に変わり、にぎやかな歌になる頃、石焼きは一段と旨さを満喫させてくれる。味噌のほのかな塩味、油気を失いポリポリした歯触り、とにかく最後までうまい。

うまいものにも色々あるが、あっさり型でこれに及ぶものは他にあるまい。新鮮さがあり、何処でも出来ない珍しさがある。それに、口にするまで暑さを耐えなければならない。

 うまいうまいで酒もすぎ、河原に仰向けになる。星が赤く光りはじめている。まだまだ酒盛りはにぎやかだ。

 

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第4章 仕事と趣味 第23話「日本シダの会採取記」

 第五回日本シダの会採集会が、屋久島につぐシダの宝庫として知られる薩肥国境の大口市布計国有林において、徳島と九州各県から約四十人が参加して盛大に開催された。

 

   北薩の 布計の深山に 集い来し

   吾等シダ人 まなこ輝く

 

 布計駅前から小学校の方に採取に向かう。途中には、イヌシダ、クマワラビ、シシガシラ、ウラジロ、コシダ等ありふれたものばかりで面白くない。

標高五百メートルのこの辺でも、真夏の陽光は焼けつくように暑い。流れる汗を拭き拭き、急いでヒノキ造林地内の歩道に入る。

 ヒノキの下層植生としてキジノオシダや長崎シダの大群落が続く。その中に点々とイノデやイノデモドキの大株があり、イワヘゴ、ツクシイワヘゴ、ミドリカナワラビ、ホソバカナワラビ等の群落が混生している。

 イタチシダやベニシダは余りにも多すぎて食傷気味だ。

 遠原越の途中から、羽月イヌワラビ、タニイヌワラビ、ホソバイヌワラビ、トガリバイヌワラビ、ナンゴクイヌワラビ、ヒロハイヌワラビ、カラクサイヌワラビ等々、余りにもイヌワラビ属が多すぎるため特長の判断に苦しむ。

 この群落を過ぎてスギとヒノキの造林地の間に、小さな渓流がある。その渓流のほとりに、この地の特産であるヒメムカゴシダ、オオフジシダが目にも鮮やかに黄緑の羽状複葉を展開する。

 林床は完全にうっ閉され、大群落が五百メートルも続く。まったく素晴らしいの一言に尽きる。

 

   布計谷の 遠原峠に 稀産する

   ヒメムカゴシダの みどりあざやか

 

 昭和三十二年頃から六十数回も布計を採取して、フケイヌワラビやユノツルイヌワラビ等の新種を発見された城戸正幸氏は、今後も布計には新種発見の可能性が十分あるという。話を聞けば、まだまだ僕らは勉強不足である。城戸先生の面影を歌に詠んでみた。

 

   布計谷に 六十幾たび尋ね来て

   遂に見いでし 布計イヌワラビ

 

 昼食を済ませて三百メートル坂道を登れば遠原峠で、向こうは球磨郡である。ここではウスバミヤマノコギリシダ、ノコギリシダ、ヤマドリゼンマイ、ワカナシダを採る。

 そして、布計駅から大口寄りにマツザカシダ、カネコシダ、ミヤジマシダを採集し、十六時の列車で布計駅を出発、宿舎の湯出ホテルに着く。

 

   鉄輪の きしみ激しく ディーゼルカー

   シダ人乗せて 山野線を行く

 

 これからは、標本にする押葉が大変である。汗くさい身体でシダを部屋一杯に広げ、一つ一つに名前を付ける。

 旅館は土やシダの葉っぱで足の踏み場もない。十九時三十分、標本の整理を終わらせるとひと風呂浴び、晩酌へ。シダの話から豆科植物、月桂樹、さねかずら、とべら等話題がみな豊富である。

 二十三時には酒宴を打ち切り就寝。翌五時前には既に四、五人が起き、今日のシダ採取の打ち合わせを始めている。

 会員は、シダに限らず木本や草本の権威者も多い。植生を知ることは適地に適木を植えることにつながるので、この機会に局署員の若手が是非入会することを期待して止まない。

 

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