昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第6章 地元と国有林 第29話「山の神」

 山の神を祭る日取りは、必ずしも定まっていない。正月には初山、二月は春の山祭り、十二月は秋の山神祭が取り行われてきたが、いつのまにか大方の祭事が省かれ、今では事業に着手するときに入山式、終了したときに下山式が行われるに過ぎない。

 

 入山式には鹿島鳥居を奉納し、山の安全と仕事の完遂を祈願する習わしが古くから行われてきた。山麓の部落周辺にある老大木、いわゆる御神木に鳥居が数基、あるいは数十基連立されているのを時折見かけるが、鳥居の数により、この地域で行われてきた山仕事の継続年数を知ることが出来る。

また、一部の地方では、奉納する鳥居の貫に、鋸、斧、とび口など山仕事で使用する道具の絵を墨書きする。

 山の神は、ところによっては「十二山さま」とか「十二山神」と呼ぶように、多くの縁日は十二日があてられている。何故、十二日なのかについては、山の神は十二柱であるとか、十二人の子神があったからだとか言われているが、いずれも十二にちなんだことからであろう。

 山の神の縁日には、するめ、こんぶ、大根、にんじん、りんご、「うる米」の粉で作っただんごやお酒などが供え物として用いられる。このだんごは、岩手県北部ではシトネ、秋田県北部ではシトギと呼ばれている。

 山の神の供え物は、女性がこしらえてはいけない。すべて男の手で作る慣習がある。また、供え物を女性が食べると、難産するとか性格の荒っぽい子供が生まれるなど、忌み嫌われることが多い。

 

 秋田県阿仁町の山あいの部落では、毎年、十二月十一日が山の神の前夜祭、翌十二日が本祭りである。

 祭事は、五戸でグループを作って、このうち一戸が当番を務める。

 前夜祭では、おでんやきんぴらごぼう、煮付けなどが婦人方によって料理され、また、しめ縄、お供え餅、大根、にんじん、かしらつきの魚二匹、御神酒などの供え物が男たちによって取りそろえられる。

 やがて夕方になると、男たちは、神社に参拝したあと当番の家に参集し、婦人方が作った料理で酒を飲み交わす。過ぎ去ろうとしている年の無事息災や家業繁栄に対して感謝のまことを捧げ、山や農のこと、あるいはよもやま話に花を咲かせながら夜を明かすのである。

 本祭の日は、夜明けを待って男たちは裸となり、「小川の水をせきとめて、わが身に三度ソウワカ」と唱えながら全身に「ひしゃく」で水をかけて水ごりをとり、心身を清め全員そろって神社に詣でる。

 立拝が終わると、供え物を当番の家に持ち帰って、男たちがそのお下がりを頂く。前日の料理を肴に再び酒盛りを行い、一日を過ごすのである。

 我が国の古い信仰では、山や森、老木には神が宿っているので、大木を御神木として扱うことが多い。また、二又木、三又木の老大木は、山の神の休み場所であるから伐ってはいけないとされている。こうした木の樹冠は偏ったものが多く、これを伐ろうとすると方向が定まらず危険なため、御神木として残存し、崇拝するようになったとも考えられる。

 

 秋田県阿仁町では、集材手たちが力を合わせる時、音頭をとる掛声に調子をとる言葉がある。

 「音頭掛声 サノコレヤ

   あわせ掛声 ドッコイショット

   サノコレワイサ ヨイトコショット」

 掛声の頭言葉である「サノ」は女神の名前である。

 女神であるから、女は嫉妬されるが男性は愛される。このため、山で働く男たちは、入山する時には必ずひげを剃り、理髪して身だしなみを整えるという。

 

 かつて、山村の重要行事として古くより行われてきた山の神も、今では一部の地方で、しかも林業に直接関わりのある職場において、かろうじてその伝統が引き継がれ、祭事が催されているに過ぎない。

 しかしながら、そうした中にも、先人達の素朴な面影をかいま見ることが出来る。

 かつてみちのくの山村で勤務し、地方のしきたりによる上山式、下山式などの祭事に招かれるなど、山の神にまつわる風習を見聞する機会に恵まれたことから、その一端を紹介した次第である。

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