第8章 特別編 第39話「苫前羆(ひぐま)事件(一)」
この事件は、大正四年十一月九日と十日の両日、北海道の開拓部落に突如として起こったもので、我が国最大の獣害であり、羆による殺傷事件として道民を震撼せしめた大惨事である。
事件が起きた場所は、苫前郡苫前村の三毛別(さんもうべつ)御料農地新区画開拓部落、通称六線沢と呼ばれるところで、当時、北海道の中でも特に開発が遅れていると言われていた。
はじめに被害を受けたのは太田の家。主人三郎と妻のマユ、知人からの預かり子である幹雄、住み込み作業中の要吉の四人が暮らしていた。三郎は朝から部落の仕事に、要吉は裏山に磯舟のシキ削りに出かけ、家には妻と子供が残っていた。
十二時ごろ、要吉がいつものように昼飯に家に帰ると、人の気配はなく、囲炉裏の片隅に幹雄がうつぶせたまま座り込み、動かないでいた。名を呼んでみたが返事がないので、要吉は幹雄の肩に手をかけてゆり動かして見たところ、少年の顔下に流れ出た血が固まって盛り上がり、しかも喉の一部が鋭くえぐり取られ、既に息絶えていた。
土間には小豆が一面に散乱、まだなま暖かい馬鈴薯二つ三つが炉端に転がっていた。驚いた要吉はマユを探して呼んだが声もなく、薄暗い部屋には不気味な空気が漂うだけであった。
要吉から事態を知らされた男衆が太田の家に着き、クマの仕業であることや、妻のマユが連れ去られたことが明らかになった。
巨熊は、窓から囲炉裏端へと侵入し、子供を一撃のもと撲殺し、更に、逃げる妻を寝間に追いつめ、食害した上で、遺体を林内に運び去ったのである。
雪国の日は短く、午後三時ともなればすでに山の日も傾き薄暗くなる。
集まった男衆は、二軒隣の明景の家へと避難し、夜明けを待つこととした。
この日集まった捜索隊は、遺体を探すために、午前九時頃林内に足跡を追った。
新雪のため歩行は困難を極めたが、百五十メートルほど進んだ時、小高い小峰にそびえるトドマツの傍らから突然、巨熊が躍り出た。
驚いた一行は一斉射撃を浴びせた。
不思議にも三丁が不発、僅かに一丁が発火しただけであったが、その一発が空を切った途端、巨熊は猛然と彼らに立ち向かい、逃げ遅れた二人は危うく一撃を打ちのめされんばかりとなった。
この時、河端は長柄の鎌を渾身の力で振り回し、宮本は不発の鉄砲を据え、しばしクマと対峙した。他はまるでクモの子を散らしたように逃げ去ってしまった。
ところが意外なことに、巨熊はやおら方向転換すると、山に向かって走り去ってしまった。
命からがら逃げのびた彼らは驚きが極に達し、口もきけない状態であったが、さりとてこのまま過ごすことも出来ず、決死の若者を改めて募ると、再度、先ほど巨熊と遭遇したトドマツ林に向かった。そして、その場でマユの遺体を発見する。
クマは獲物があるうちは付近を去らない習性があるので、その晩の太田家では、通夜の人たちも鉄砲などの武器を用意して充分警戒していた。
通夜も一段落つき、幹雄の母が持参した酒を部落民に差していたその時、つまり夜八時半ごろであろうか、突然、巨熊が遺骸を祭った寝間の壁板を打ち破り、ぬっと立ち上がった。正に恐れていた予感が的中した瞬間であり、獲物を奪われたクマが復讐に来たのである。
このあおりでたちまちランプが消え、室内は暗闇と化し、黒い固まりが大きく立ちはだかった。とっさの出来事に肝を潰した者たちは、クマがどこを睨んでいるのか見当もつかず思わず悲鳴を上げ、いち早く外に逃れた中川が大声を出しながら石油缶を打ち鳴らした。
逃げ遅れた者たちは、便所に隠れ、屋根裏に駆けのぼった。
クマは、家の騒ぎに逆に驚き、夜陰に姿を消してしまった。
しかし、これで巨熊の襲撃は終わることはなかった。
しばらくして、今度は、川下に激しい悲鳴と叫び声が深閑とする森に響きわたった。一晩に四人が殺され、三人が重傷を負うという史上最悪の悲劇が太田家から二軒隣の明景の家で起きたのである。
この日、比較的安全と見られていた明景の家は、女、子供の避難所にあてられていた。
主人の安太郎はもともと所用があり不在で、妻のヤヨと男児四人、女児二人、斎藤の家から妻のタケと男児二人、それと要吉の十人が居合わせており、追って今夜、二十名ほどが明景の家に分宿警戒に当たる予定であった。
「火を絶やすなや、どんどん燃やすんだ」
要吉は子供たちを励ました。
「火を見せればどんなクマでも逃げてしまう」という教訓が、開拓初めから彼らにしみ込んでいたのである。ヤヨは今宵自宅に集まる救急隊員の夜食準備に取りかかり、タケは団子づくりに余念がなかった。
突然、居間のあたりに激しい物音がして、それと前後して窓を凄まじい勢いで打ち破り、囲炉裏を飛び越え、クマが崩れ込んで来た。
この騒ぎで大鍋がひっくり返り、焚き火が蹴散らされ、ランプは消え、たちまち部屋は真っ暗闇になった。
クマは、外へ逃れようとする親子三人を居間に引きづり戻しては次々と噛みつき、その後、物陰に上半身を隠していた要吉に猛然と襲いかかると腰のあたりを激しく噛みついた。そして、要吉の絶叫に手を離したクマは、恐怖に泣け叫ぶ子供たちを襲うべく、再び部屋に戻った。
一方、クマの襲撃から逃れた重傷のヤヨは、隣の中川の家にたどり着き、救いを求めた。
すぐさま 五十人余りの救急隊が明景の家を取り囲んだ。しかしながら、誰一人として家に踏み込むことが出来なかった。
生存者皆無という断定から、救援隊は家を焼き払うか一斉射撃かで意見が対立したが、この時、ただ一人頑強に、この両説に反対しつづけたのが母親ヤヨであった。万一生存者がいることを心ひそかに願い、男たちを説き伏せたのである。
とかくするうちに、屋内からの叫びも絶え、時折思い出したように救いを求めるうわごと、クマの足音のみとなってしまった。
救援隊は、家の周囲に布陣を敷き終えると、夜空に二弾放った。
クマはほとんど同時に猛然と屋外に飛び出し、入口近くに居合わせた者の前に大きくたち上がると、意外にも踵を返し、暗闇へと姿を消した。クマの動きが家の軒下沿いであったため、救援隊は屋内に生存するかも知れない子供たちに弾が当たることを恐れ、発砲することが出来なかった。
奇跡的というべきか、幸いにして二児が無傷で救出された。