昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第2章 営林局から 第11話「狐の山案内」

ある営林署の林況調査に出かけたときのことである。

 いつものように案内人を一人連れ、午前中は何事もなく調査を終わり、本流の河原まで降りて昼食をとった。真夏の暑い日であった。案内人がイワナを見つけて手づかみにし、晩の肴にということで笹の葉に包んでくれたため、それをリュックサックに入れ持ち帰ることとした。

 午後は本流を下り、一つ手前の沢の林況調査である。その場所へは本流をそのまま降りれば確実に行けたのであるが、直接、峰を越えて行った方が早いと考え、調査地がある方向を目指して道なき急斜面をよじ登って行くこととした。

 

 しばらくして峰に出たが、調査地が見当たらなかったので少し登れば良いと考え、鉈で小柴を伐りながら峰通りを進んだ。   

ところが、いくら歩いても調査地が出てこない。おまけにネマガリ竹が出てきたので「ちょっと違うのでは」とは思ったが、案内人は土地の人であり山にも明るかったので、口をはさまずそのまま同行した。

 しかしながら、ネマガリ竹が次第に多くなり、調査目的であるヒバもまばらになってきたことから、案内人に

 「何だかおかしい。東に進むべきものを西に進んでいるようだ。太陽の位置から見てもそんな気がする。この辺りで一服してみたらどうだ」

と言ったが、案内人は

「そんな筈はない」

と自信たっぷりに返答し、前へ進もうとする。

私としては、初めての土地でもあり、案内人に対して明確に反対するほどの自信もなかったため

「疲れたからとにかく一服しよう」

と言いタバコを勧めた。

案内人は岩に腰掛け煙をくゆらせたが、私はタバコもそこそこに済ませると、地図とコンパスを取り出しては進行方向を確かめた。

思った通り、東ではなく西に進んでいたため、案内人に「やはりこの方向ではない」とコンパスを見せ説明した。

それでも案内人は半信半疑であった。「何か目標は見えないか」と言うと木に登り辺りを見渡したところ、幸いにして見慣れた崩壊地を遠くに見つけることが出来た。それは、私たちが宿泊している部落から東側に遠望出来るものであった。

このため、その崩壊地がある方向を目指して進むこととなり、我々は再びネマガリ竹が広がる尾根を歩き始めた。

 

 尾根は平坦であり、かつ、今度は方向も確かなことから、足取りも心なしか軽かった。

 緩やかな起伏をアップダウンすること四十分。なかなか初めに登ってきた峰筋にたどり着かないことから、少々心配になりかけた頃、うっそうとしたヒバの森が我々の前方に見えてきた。

 それは意外な場所であった。

 何故ならそこは、午後、初めに登った峰筋ではなく、午前中に調査した、一つ奧の沢の源流部であったからである。

 何故、こんな所にまで逆戻りしてしまったのか。二人はあっけに取られながら、どこで間違えたかそれぞれ思案した。

 

はっきりとした原因は分からなかった。

 地図を見ると、平坦な尾根へはいくつかの峰筋がつながっており、少しでも方角を間違えると別の沢へと降りてしまう。しかしながら、正しい方向に進んでいたはずなのに、全然違う場所にたどり着いてしまったのはどうしてであろうか。

 どうやら我々は、大きな尾根の中にある小さな峰の中腹をぐるっと一巡させられていたようである。山歩きにはそれなりの自信があった。それなのに、その時の我々は、自分たちの意志とは関係なく行動していたようである。

 原因は何か。色々考えたが、こんな初歩的な間違いをするからには、きっと別の理由があるからに違いない。

 二人で話し合った結果、それは我々のせいではなく、リュックサックにあるイワナにあるものと断定した。

  

 今日は蒸し暑い日であった。いかに標高が高くとも、夏の日差しに当たればリュックサックの中のイワナも蒸されて程よい臭気を出す。

 山の狐がそれを欲しくて我々を引っ張り回したに違いない。

狐が油揚げが好きだということは子供の頃から聞いていたが、山のイワナにまで手を出すとは考えてもみなかった。

 こんな無駄な山歩きをしたのも、結局は狐のせいだと二人で納得し、重い足取りで下山したのであった。

 

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