昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第6章 地元と国有林 第31話「なめこ栽培」

 私が真室川営林署に勤務していた時のことである。大量のブナを択伐で売り払ったことがあるが、伐採して用材を搬出した後、残された枝条が千五百立方近くとなったため、部落ではこれを利用してなめこを栽培することとなった。

 杣小屋に十人以上が泊まり込み、散在する枝条を集めては植菌をするという。私は請われてなめこ栽培を指導した。昭和三十三年のことである。

 この事業には、当時の金額で百万円ほどかかるという。

 これはかなりの大金であり、もし失敗したら弁済しなければならないから、指導などしないでくれと妻は反対した。

しかし、大量の枝条をただ山に捨ててしまうのは非常に惜しく、事業は開始された。

 駅から遠い山であり、歩くもの大変であったが、何回か事業地まで往復しては指導し、私は、「なめこよ発生してくれ」といつも心に祈っていた。

 こうして二年目の秋を迎えると、ある日、宿舎に一杯のなめこが届いている。そろそろ発生時期だからと山に入ってみると、これだけのなめこが発生していたという訳である。

妻は早速神棚に供え、御神酒を添えて感謝した。その時の喜びは、今もって忘れられない。

 昭和三十年頃、山形県の最上郡には、まだ多くの無電灯部落が散在していた。

 当時、旧及位村、安楽城村などではなめこ栽培により相当の収益を上げていたが、外沢などの部落は耕地が少なく、大半は副業として製炭に依存していたため、製炭資材としての広葉樹も窮屈な事情にあり、きのこ栽培も出来なかった。

 昭和三二年、何かの機会でなめこ栽培を勧めたら、部落全体で製炭資材の一部を割愛してなめこの栽培が始まった。  

 それから十年の歳月が過ぎ去った。私が近くの署に転勤となった際、この部落から招待され、十年ぶりに往時の地を訪れることとなった。

 部落に一歩足を踏み入れると、家々の建物の変わりように驚いた。昔の面影はまるでない。この部落では、ランプ生活しか見るものがなかったのに、第一に目に映ったのは、テレビや冷蔵庫などの電気器具である。

 

 なめこと電灯。国有林を利用した文化の恩恵は思わぬところにあった。こうしたなめこ栽培が定評を受け、部落の副業として発展することを祈念したい。

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第6章 地元と国有林 第30話「下戸談話」

 山官となって山の事業所勤務を命ぜられたが、当時の山官には酒豪が多く、また、事業所を訪れる人々もほとんどが酒の強者ばかりであった。

 歓迎会、送別会、会合の後などはもとより、出張先の宿屋でも必ず宴席が設けられ、酒を強いられる。盃一杯で心臓が破裂するほど鼓動の高鳴りを覚える私にとっては、耐え難い席である。

 

 新参の頃ある日、近くの部落で私の歓迎会が催された。

 新入りはお椀で三杯飲むのがしきたりとのことである。

 高脚縁付きのお膳に吸物椀が一つ乗せられ、私の前で満々と注ぎ、勧めてくる。

 飲まねば部落との断交を意味する。しかし、飲めば体の方が持たないしで困っていたところ、隣の補助員が

「主任さん、飲めなければ一口でも口をつけて、残りはお膳の中にこぼせばよいのです」

と言ってくれたので、その通りに三回繰り返した。

 ところが、その上に部落の各人がまた盃を差してくる。盃を受けてはこぼしていたが、だんだんと息苦しくなり、とうとうこっそり抜けて帰ることとした。暗い急な坂道は勝手が分からず、気分もムカムカしてきたが、死ぬ思いで何とか事業所にたどり着くことが出来た。

 それ以来、私が酒が飲めないことが分かり、無理強いする人も少なくなった。

 

 熊本に住んでいた頃のこと、友人の結婚式の帰りに、養鶏場の前で羽織袴のまま寝込んでしまった。お巡りさんに起こされた上に

「家まで送りましょう」

と言われ、照れ臭いやら困ったやらで、スゴスゴと一人帰ったことがある。

 また、別の宴席の帰り道、今度は検察庁前の道路で寝てしまった。一足遅れで偶然、その場を通りがかった事業課長に腹のベルトをわしづかみに吊され

「男が酒を飲んだぐらいで道ばたで寝るとは何事か。寝るのなら家までチャンと帰ってから寝たもんせ」

とこっぴどく怒られた。

 それ以来、家まで帰る余裕がある間に、酒席から抜け出すよう心がけている。

 

 昔から言い古された格言に「英雄は色を好み、豪傑は酒を好む」というのがある。

 九州の山官は、英雄にも豪傑にもあこがれているせいか、酒と女の駄目な奴は一人前の働きが出来ないと言う。

 そのせいか、昔は営林署に就職すると、上司や先輩から酒を無理強いされることがたびたびあった。

 しかし、私たちの周囲を見ても、若い頃、英雄豪傑を夢見て飲み過ぎてしまい、半病人となってしまった人を探すのに、そう不自由しない。

 どうか、酒についての旧来の悪習を打ち破り、酒を無理強いしたり、畳に酒を飲ませるまで自ら飲むことは是非ともやめて頂きたいと思う。

 

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第6章 地元と国有林 第29話「山の神」

 山の神を祭る日取りは、必ずしも定まっていない。正月には初山、二月は春の山祭り、十二月は秋の山神祭が取り行われてきたが、いつのまにか大方の祭事が省かれ、今では事業に着手するときに入山式、終了したときに下山式が行われるに過ぎない。

 

 入山式には鹿島鳥居を奉納し、山の安全と仕事の完遂を祈願する習わしが古くから行われてきた。山麓の部落周辺にある老大木、いわゆる御神木に鳥居が数基、あるいは数十基連立されているのを時折見かけるが、鳥居の数により、この地域で行われてきた山仕事の継続年数を知ることが出来る。

また、一部の地方では、奉納する鳥居の貫に、鋸、斧、とび口など山仕事で使用する道具の絵を墨書きする。

 山の神は、ところによっては「十二山さま」とか「十二山神」と呼ぶように、多くの縁日は十二日があてられている。何故、十二日なのかについては、山の神は十二柱であるとか、十二人の子神があったからだとか言われているが、いずれも十二にちなんだことからであろう。

 山の神の縁日には、するめ、こんぶ、大根、にんじん、りんご、「うる米」の粉で作っただんごやお酒などが供え物として用いられる。このだんごは、岩手県北部ではシトネ、秋田県北部ではシトギと呼ばれている。

 山の神の供え物は、女性がこしらえてはいけない。すべて男の手で作る慣習がある。また、供え物を女性が食べると、難産するとか性格の荒っぽい子供が生まれるなど、忌み嫌われることが多い。

 

 秋田県阿仁町の山あいの部落では、毎年、十二月十一日が山の神の前夜祭、翌十二日が本祭りである。

 祭事は、五戸でグループを作って、このうち一戸が当番を務める。

 前夜祭では、おでんやきんぴらごぼう、煮付けなどが婦人方によって料理され、また、しめ縄、お供え餅、大根、にんじん、かしらつきの魚二匹、御神酒などの供え物が男たちによって取りそろえられる。

 やがて夕方になると、男たちは、神社に参拝したあと当番の家に参集し、婦人方が作った料理で酒を飲み交わす。過ぎ去ろうとしている年の無事息災や家業繁栄に対して感謝のまことを捧げ、山や農のこと、あるいはよもやま話に花を咲かせながら夜を明かすのである。

 本祭の日は、夜明けを待って男たちは裸となり、「小川の水をせきとめて、わが身に三度ソウワカ」と唱えながら全身に「ひしゃく」で水をかけて水ごりをとり、心身を清め全員そろって神社に詣でる。

 立拝が終わると、供え物を当番の家に持ち帰って、男たちがそのお下がりを頂く。前日の料理を肴に再び酒盛りを行い、一日を過ごすのである。

 我が国の古い信仰では、山や森、老木には神が宿っているので、大木を御神木として扱うことが多い。また、二又木、三又木の老大木は、山の神の休み場所であるから伐ってはいけないとされている。こうした木の樹冠は偏ったものが多く、これを伐ろうとすると方向が定まらず危険なため、御神木として残存し、崇拝するようになったとも考えられる。

 

 秋田県阿仁町では、集材手たちが力を合わせる時、音頭をとる掛声に調子をとる言葉がある。

 「音頭掛声 サノコレヤ

   あわせ掛声 ドッコイショット

   サノコレワイサ ヨイトコショット」

 掛声の頭言葉である「サノ」は女神の名前である。

 女神であるから、女は嫉妬されるが男性は愛される。このため、山で働く男たちは、入山する時には必ずひげを剃り、理髪して身だしなみを整えるという。

 

 かつて、山村の重要行事として古くより行われてきた山の神も、今では一部の地方で、しかも林業に直接関わりのある職場において、かろうじてその伝統が引き継がれ、祭事が催されているに過ぎない。

 しかしながら、そうした中にも、先人達の素朴な面影をかいま見ることが出来る。

 かつてみちのくの山村で勤務し、地方のしきたりによる上山式、下山式などの祭事に招かれるなど、山の神にまつわる風習を見聞する機会に恵まれたことから、その一端を紹介した次第である。

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第6章 地元と国有林 第28話「初雪の木曽谷」

「管理官の急用は、いつも深夜の電話から始まる」

木曽谷の駐在とは会う度毎にこう言われる。本当に申し訳ないと思うが、田島から奧、八百余人の大世帯を世話しているのは営林署の事業用電話しかない。このため、事故が起きるとこうして駐在に電話をかける訳だが、不運にも大きな事故は決まって夜中に起きる。

酒酔いで旅館のガラス戸を割ったのは夜の十一時頃、ある事故の検視を依頼したのも深夜、飯場で凶器を振り回して暴れたのも深夜、モーターカーが御岳湖に飛び込んだのも寒い冬の夜であった。

 そして今回の件でも、結局、駐在さんに深夜、電話することとなってしまった。

 その日私は、御嶽山の五合目にある、初雪の白衣装をまとった小さな旅館に泊まっていた。

 夕刻、若い女性がハイヤーから降りた。二十五、六歳位の魅力的な女性である。和服姿で羽織なし、小さなハンドバック一つの一人旅である。御岳信者の白装束一人旅なら時々見かけるが、どう考えても場所と時期に、女の晴着姿が似合わない。

「これは失恋自殺の旅だ」

旅館の主人も同じ意見であったが、ハイヤーは既に帰ってしまい、女を追い返すすべもない。

宿の女将が応対した。

「明日はどちらへ」

「大阪へ帰ります」

「お顔の色がすぐれないようですが」

「いいえ、別段」

まさか「失恋でも」とは聞けないし、「今晩、自殺します」など答えるはずもない。

 さて、どうするか。自殺などされたら縁起でもないと主人は言うし、とにかく未然に防ぐしかない。女将と三人で相談した結果、一晩中看視することとなった。

初雪を踏んで林の中をさまよい・・・この看視は簡単だ。旅館から出ないように見張ればよい。

 次に、この宿の中でとなれば、まずは睡眠薬だろうが、大量の薬を飲むには水がいる。そうだ、水を遠ざけることだ。ご飯中はずっと付き添い、食事が済んだら一切の食器を下げ、水差しとコップは絶対に置かない。

 打ち合わせが終わるとホッとする反面、もしかしたら取り越し苦労ではないか、といった馬鹿さ気分も半分ほどあった。

 

 夕食には女将が同席した。酒の注文もあったが、味気ない酒だったのか、あまり多くを語らず食事も終わり、空のトックリが食膳と一緒に下がってきた。 

 夜の十時半ごろ、水を飲みたいと注文が来た。水を飲み終わるまで女将をつけるはずだったのだが、あいにく水を運んだのは旅館の婆さんだった。

 婆さんは、水を届けて女と話を始めた。風土のこと、御岳信者のこと、姉妹や親のことなど話が随分とはずんだようだ。お土産の話まで出て、婆さんにはすっかり親孝行の娘に見えたらしい。

「この土地のお土産は何がよいでしょう」

「明日家に帰るのであれば、木曽菜の漬物を持ってゆきなさい。お母さんが喜びますよ」

「ハイ、御嶽山の雪の話もよいお土産です」

「今晩はもう遅いからお休みなさい」

「ハイ、では休ませていただきます」

つまり、婆さんは、すっかり安心しきって、水差しとコップを置いたまま下がってしまったのである。

 

夜十二時近くである。

 廊下をつたわって、太い大きなイビキが聞こえてくる。男のものでもなく、女のものでもない、異様なイビキである。

 おかしい、あの女の部屋だ。直ぐに女中を呼び、女の部屋に入れたが全然、起きないという。女中に頼まれ、やむを得ず私が女の部屋に入ることとなった。

 きれいな寝姿である。晴着は丁寧に寝床の横にたたまれ、白い長襦袢を着て深い眠りについている。この寝姿からこのイビキ、想像出来ないことである。

呼んでみた、ゆすってみた、とうとう頬を引っぱたいたが全く反応がない。相変わらずの深い眠りと大きなイビキ。

「しまった!」

「やられた!」

つまり婆さんが騙されたのである。婆さんが引き下がった後、水差しに残った水で薬を飲み、そのまま寝込んだのである。

 

「もしもし、駐在さん・・・」

こちらの名前を名乗らぬうちに、

「管理官からの夜中の電話はろくなことがないが、今度は何かね」

「いや済まん。今度は営林署ではないのだ。五合目の旅館で今・・・」

「男かい? 女かい?」

「二十五、六のきれいな婦人だ」

「女か、じゃ出かけよう」

「男ならこちらで始末させるつもりか? 医者も連れてきてくれ」 

「夜中に医者を起こすのも、管理官の十八番だ」

という次第で、駐在さんと医者と看護婦がこの宿に着いたのは夜中の一時を回っていた。

そして、とうとう私まで、女の胃洗浄に付きあわされてしまった。



翌朝、女を病院に移すこととなった。

 たたんだ着物の中から、「ブロバリン」のビンが転がり出てきた。

 駐在さんの背中におぶさって旅館の階段を下るとき、女のきれいな両足が、バタンコッン、バタンコッンと階段を引きづりながら叩いた。

力の抜けた女の身体は、駐在さんの肩にはさぞや重かったようだ。

 

玄関で女を見ておかしいと思い、看視をしようという判断まではよかったが、看視の具体策で失敗した。婆さんも、コロリと騙されたと残念がっていた。

女は小さな声で「スイマセン」と、ただ一言残して病院へ向かった。

 

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第6章 地元と国有林 第27話「ドブロク」

 毎年、年の瀬もおしつまる十二月十五日は、村の若い衆が一番心待ちにしている恒例の行事がある。村の家々から集められた米で作ったドブロクを、皆が集まり飲むのである。

 もう十七、八年前の話ではっきりとは覚えていないが、私は村の何か役員をやっており、また、家族も少なかったことから、その年は私の家でドブロクを仕込むこととなった。ドブロク造りは素人であったが、なかなかの出来映えとなり、十五日の朝、出来たドブロクは瓶のまま私の家から若宿衆まで運び出された。

 これを三日の間にみな飲んでしまえば何事もなかったのであるが、第一日目にとんだハプニングが起こった。

 

酒宴が盛り上がる中、役員の一人と酒屋の息子が大喧嘩を起した。

顔面に大きなアッパーを食らって血だらけとなったのは酒屋の息子の方で

「酒造法違反で訴えてやる」

と言っては若衆宿を飛び出し、家に帰ってしまったのである。

 残された一同はまさかとは思っていたが、翌朝、酒屋の親父が若衆宿へ来て「昨晩、うちのK男が税務署に電話したようだから」

と告げたことから、もはや酒盛りどころではない。

 証拠物件である瓶を隠すやら何やらで大騒ぎとなったが、その日は終日、税務署員の姿は現れず、長い長い一日を何事もなく終えたのである。

 

 瓶の中には、まだ半分以上ドブロクがある。

 村の入口で税務署員を見かけたとか、少し離れた部落が近々摘発されるらしいとか、色々な噂が飛び交うなか三日目を迎えた訳だが、さすがにこの頃になると皆、我慢が出来なくなり、「税務署なんか来るものか、脅しだよ」と誰かが言いだすと、その一言で各人が大丈夫だと言い出した。

 そして、例の瓶を持ち出し、土間へどんと据えるとドブロクを再び汲み出した。

 若い衆は、口々に酒屋の息子の悪口を言い、税務署を批判し、また、毎度始まる年寄り連中のドブロク講釈をけなし始めた。

 そして、ぐでんぐでんに酔っぱらっては怪気炎を上げる、喧嘩を始めるといった相も変わらぬ風景となった。

 ところがである。

 夕方、あらかたのドブロクを飲み干し、底の方に五合ばかり残した瓶を土間に置きっぱなしにしていたところ、突然、令状を持った捜査員が入り込み、いきなりその瓶を差し押さえた。

 万事休すである。

 支部長以下村の役員が炉端に集められ、こっぴどく叱られ、色々と詰問された。

 支部長は甘酒だと言い張ったが、相手は頑として受け付けず、アルコール度数を検査すれば分かると言って瓶ごと没収してしまった。最後は、他の者が知らないうちに四人で共謀して密造したということになったが、本当は、自分たちの手でドブロクを作ろうなどと言い出したのは私だったので、支部長には大変申し訳ない気がした。

 

 しばらく経って税務署から出頭命令が来た。

 係官からさんざん油をしぼられた末、一人につき罰金三千円を申し渡された。私たちは前科者となってしまったのである。

 幸い新聞には出なかったが、とんだドブロク騒ぎで馬鹿をみて以来、この部落では、どんなことがあっても、誰もドブロクを作ろうなどとは言わなくなった。

 

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第5章 女性から 第26話「男性職員への注文」

 つい先頃の婦人雑誌に「夫は妻に何を望み、妻は夫に何を望んでいるか」という記事がありましたが、男性が九割以上を占めている現在の職場で、職場の中でみる男性について私なりに観察し、注文をつけるとしたらどうでしょうか。

 

 毎朝、機械のように出勤して一日の仕事にとりかかり、何の変哲もないようにみられる生活の中に、男性は生涯の大半を過ごす訳ですから、考えてみれば本当にご苦労様と言いたい気持ちになります。

 主婦たるもの、せめて家庭が憩いの場となり、明日への活力を養う場であるように気を配りたいものです。家庭が安定してこそ明日に希望があり、職場の仕事に精魂を傾けられるからです。

 しかし、時々見受ける男性の中には、昨夜の麻雀の疲れか晩酌のやり過ごしでしょうか、赤い目をしながらお酒臭い息をはいている人もいます。そんな男性をみると、私生活の一面をみたようであまり感じが良くありません。

 少ない給料の中でやりくりに頭を悩ませ、せめて給料日ぐらいはと、晩酌をつけお膳を出して待っている主婦の心労を知ってか知らずか、給料袋からネオンの代金を失礼している男性もみられます。背信行為と意識してのことでしょうか、女性にとっては好感を持つことが出来ません。

 私が、職場で男性に心を打たれる時は、年齢を問わず仕事に打ち込んでいる姿です。何かしら近寄りがたい畏敬の念を感じることがあります。

 それと、仕事を一段落片づけて、ほっとタバコをくゆらせている姿にも、男性独特の安定感があります。

 そんな時のタバコはきっと美味しく感じるのであろうと、他人ながら眺めている時があります。

 

 職場のMさんは、四十代という年齢に似合わず、時には二十代のような若々しい声量で流行歌を唄ったりします。しかし、時には父親のような優しい感情をふっと感じさせることもあり、何かほのぼのとした人柄に触れることがあります。

 家庭にあっても、きっと良いご主人であり、やさしいパパなのでしょう。

 生意気な言い方かも知れませんが、何事にも労力を惜しまず、ファイトを持っている男性に女性は心を惹かれ、尊敬するのです。

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第5章 女性から 第25話「主婦の随想『十二年のくらし』」

 「お父さん、もう土岐のやまには、どこにも仕事をするところがないの?」

 「うん」

 「じゃあ、土岐はすっかり緑になってしまったのね」

 「うん、そうらしいな」

 「それじゃ、いままで現場で働いていた人たちは、これからどうなさるの?」

 「・・・」

これは、役所の仕事をあまり話したがらない夫と私の会話で、いつも最後は夫のだんまりで打ち切られてしまいます。

 夫は、土岐治山事業所に入って十八年もの長い間、転勤を知らずに治山の仕事に携わってきました。私はそのうちの十二年間を共に暮らしてきた訳です。

 

 煙たなびく土岐市に最初に下り立った時、一番賑やかな駅前通りでは陶器の姿を見ることが出来ませんでしたが、街外れに一歩出れば、まだまだ使えそうな茶碗や湯飲み、皿などが至るところに捨てられており、土岐市が陶器の街であることを証明していました。

 目を少し上に向けますと、冬枯れの山々は林立する煙突のけむりのせいか、くすんだ色の木々は薄汚れて見えました。ほうぼうでむき出しになった山肌は、陶土を掘った跡なのでしょうか荒れ果て、見るからに殺風景な様相で、里山の美しい緑を懐かしく思ったものです。

 

 役所のことは何も知らない私でしたが、昭和七年に始まった土岐の民有林直轄事業もいよいよ終了し、治山事業所も閉鎖されるとの噂が少しずつ入ってくるようになりました。

 毎年三月になると、一人ふたりと退職されたり転勤されたりして、今度は我が家の番ではないかと、転勤の経験のない私どもは、大きな不安と小さな期待とが入り混じった複雑な気持ちで過ごしてきました。

 主に山の仕事をする夫は、役所の机に向かっているより、体はくたびれるが現場に行った方が良いと、毎日、オートバイを走らせてきましたが、昨年の暮れにはとうとう現場も解散してしまい、山の仕事もなくなりました。

 そして明けて昭和四十五年、土岐で生まれ育った子供たちも、小学四年生と一年生になりました。長いようで短かった十二年間の土岐の暮らしも、三月には終止符が打たれることとなった訳ですが、今、あらためて山を仰いでみますと、私が初めて土岐に立った時の荒れ果てた山からは想像も出来ないほど、立派に緑豊かな山へと成長しました。

 四季折々の変化、朝夕の山の輝きは私たちの生活をうるおし、疲れた心をいやしてくれます。この山々が、緑の苗木を植え、育ててきた数多くの陰の人たちの労働のたまものであるということを、私たちは忘れてはならないと思います。また、その一員として、十八年もの長い間、地道に山を治め、勤め上げた我が夫を誇らしく思い、尊敬している私です。

 次の転勤地がどこになるか、今は分かりませんが、どこに行っても夫が精を出して働けるように、また、家族がいつも健康でいられるようにと気を配り、質素であっても明るく楽しい家庭を築くことが、これからの私の役目であり、務めであると思っています。

 

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