昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第1章 現場から 第4話「ナンコ」

 発電所が鳴らす五時のサイレンが聞こえてくると、短い冬の日の太陽は、早くも峰筋の保護樹帯の上に傾いていた。

 二十ヘクタールに及ぶこの小班の植え付けは今日で全部終わり、明日からの作業は反対側の谷へと移動する。

 「寒いなあ、一杯やろうか。今日でこの谷の仕事も終わったことだし」

 すると、呼べば答える山のこだまのように、班長の重ヤンが言った。

 「よかろう。お前、一走り頼むよ。俺たちは、下で火を焚いて待っているから」

  こんな話は、たちどころにまとまるものである。指名された富ヤンは、村の酒屋までオートバイをブッ飛ばすべく、下山する列から離れて小走りに下って行った。

 

 勝チャンの提案に従う組は十人。昼飯の時に囲んだたき火の周りに青葉のついた柴を敷き、その上に腰を下ろす。たき火の上には、湯沸かしで使う真っ黒に焼けた薬缶があり、そこに焼酎を一升入れ、燗をつける。二十度の焼酎は、一日の仕事を終え疲れ、空腹となった体の隅々へとよくしみ渡っていく。

 最初の一升がなくなる頃には、辺りはもうすっかり暗くなって、山の稜線が薄墨を流したような夜空におぼろに浮かび、その上には星が輝いていた。

 

 「ナンコやろうや」

 担当区主任が言い出した。

 ナンコとは、酒の座で行われる遊戯の一種である。一対一で盃をはさんで向かい合い、手の中に何本かのナンコを握り隠して相手に差し出し、互いが握る本数を当て合う。そして、負けた方が焼酎の盃を飲むのであるが、この地方では、これが出ないと酒宴の席が締めくくれない。

 ナンコで使うナンコ玉は三分三厘角、長さは三寸三分の木片と決まっているが、山の中だからそんなものはありはしない。

 「富やん。ナンコ玉切ってこいよ。河原に行けばヤナギか何かあるだろう」

 「よしきた」

  富ヤンは、腰鉈を持って川へ下りていくと手頃なナンコ玉を用意し、早速ナンコが始まった。

 主任はもちろん、和チャンも春チャンも女だてらにナンコ玉を握っては、たき火の脇で大きな声を張り上げ、お互いに握っている本数を怒鳴り合った。そして、負けては弁当箱のふたに入った焼酎をすすり、結局、二本目の焼酎を飲み干すまでナンコが続けられた。 

 事態は翌日に起きる。

 主任が顔に異常を感じ始めたのは、翌日の午後だった。

 顔全体が火照ってかゆくなり、次第にブツブツした吹き出物が出てきた。無性にかゆいので爪でガシガシかくと、やがてタラタラと汁が出てくる。

 そのうちに目もだんだん腫れぼったくなってきて、夕方頃には完全に見えなくなってしまった。

 奥さんが塗る薬は汁に押し流されてしまうため、やむなく脱脂綿に薬を塗り、それを顔全体に貼り付けたが、そんな姿は他人には見られたくないし、第一、目が見えないから仕事にならない。

 営林署の庶務課長には病気届を出し、事務所で一週間にも及ぶ面会謝絶と相成った。

 見舞いに来た班長の重ヤンによると、和チャンも勝チャンも仕事を休んでいるという。忠サンもやられてはいるが、真っ赤な顔をして出てきているらしい。主任は、これまでの経験から、自分のかぶれが「ハゼ負け」によることは分かっていたが、班長の話を聞くまでどこでかぶれたのか皆目見当がつかなかった。

 原因はナンコ玉だったのである。

 

 あの晩、富ヤンが川に下りていくと、手頃な太さの灌木が見つかった。冬だから葉はついていないし、ましてや暗いことから、適当な長さのものを選んでは鉈で伐り三寸位にそろえると、丁度良い加減のナンコ玉が出来上がった。 

 勿論、それがハゼの木であることは、彼自身も外の誰も、考えもしなかった。

 そのナンコ玉を持ち、用意した焼酎が無くなるまで、負けては焼酎をすすっては、ハゼの木の汁の付いた手で口のまわりを押しぬぐったのである。

 

  この話には後日談がある。主任の病気は顔だけではなく、実は彼の大事なせがれも同じ病に冒されていたのである。結婚後、まだ半年ばかりの新妻にはさすがに言えず困り果てていたが、幸い、顔よりも先に全治したため、奥さんには悟られずに済んだという。

 また、病状その他についても、庶務課長にはとうとう知らせなかった。ハゼの木でナンコをやって負けたなんて、恥ずかしくてとても言えたものではなかったからである。

 

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第1章 現場から 第3話「雑草に挑む」

 五時三十分に雨戸を開ける。家の前には標高四百メートルの前岳国有林

 その頂きには朝日が当たり、空は青く澄んで雲ひとつない。

 今日で何日、雨が降らないのであろうか。

 慌ただしく朝食を済ますと車に飛び乗り、作業現場へと急ぐ。林道の終点から、谷川に沿って歩道をさかのぼること一時間、やっと現場にたどり着く。

  休む間もなく鎌研ぎが始まり、十一名がいっせいに、背丈以上もある雑草に挑んでかかる。

  照りつける太陽とむせかえる雑草の匂いが、むんむんと鼻をつく。雑草の中から顔を出すスギの木。太陽の光を浴び、いかにも嬉しそうである。

  仕事始めの頃には聞こえた話し声もいつしか途絶え、ただ、草を刈払う音だけがバサッ、バサッと聞こえるだけである。汗の量と作業の進み具合が比例する。

 

 十時の休憩が来た。

 大きな声で「タバコ」と叫ぶと、早速、腰の水筒を外して飲む。

 うまい。

 近くの同僚にも水を回す。一回りすると最後の者が「班長、アイガトゴワシタ(有難うございました)」と言って水筒を返す。

 喉の渇きをうるおして一服するうちに、作業始めの時間だ。

 「オーイ、かかれ」

と大きな声で叫ぶ。

 元気を取り戻したのか、鎌の音も大きい。太陽は頭の上で容赦なく照りつける。吹く風も蒸し暑い。次第に鎌の音が弱くなってきた頃、一番年長のAさんがお茶の準備にかかる。暑い最中の仕事だけに、昼のお茶をみなが楽しみにする。

 

 「作業やめ」

 やっと昼が来た。

 木陰の涼しいところにあるテントに向かって、皆がぞろぞろと下りてくる。この現場は、幸いにも谷川がそばにあるので大助かりだ。

 顔や手の汚れを洗い落とし、びっしょりと濡れたシャツをザブンと洗うと昼食にかかる。フーフー吹きながら飲む熱いお茶がおいしい。食事が終わると、あちこちで弁当箱を枕に昼寝が始まる。

 疲れをとるために、ひとときでもいいから寝ることにしている。今ではこれが我が班の習慣となっており、昼休みの雑談は禁物。少しでも眠れば昼から調子がいい。

 生まれつき寝つきのいい私は、横になると五分もたたないうちにイビキをかく。

 「はやいもんじゃ、もう眠ったぞ」

 みんながいつもひやかす。

 時計の針が一時をさす。

 誰となく

 「ドーラ、ガンバランナネ」

と言って立ち上がる。

 二時、三時とうだるような暑さが続く。空には雲一つない。

 「雲よ出よ、涼風よ吹け」

と思わず誰かが叫ぶ。

 

 暑い暑いと言っている間に、時計は五時近くになる。太陽も西に大きく傾いている。

 「作業やめ」

 この一言を待ちわびていたのか、皆の顔がゆるむ。汗びっしょりの顔に、目だけが光っている。

 一日の労苦が一目で分かる時だ。

 「今日も暑い中頑張ってくれて、ご苦労さん」 

 心の中で皆にそう言いながら、一列になって山を下りる。

 下刈りの済んだ箇所を通ると、列の一人が言う。

 「ヤツパイ、山はハヨハルタガヨカドナ(やっぱり山は早く下刈りした方がよい)」

 これを受けた一人が

 「ソラ、アタイマエヨ。ハヨシテカキノランコチャネーと昔の人がいうじゃねー(そう、当たり 前よ。早くして間に合わないことはないと・・・)」

と言う。笑い声とともに列が進む。

 

 一杯の焼酎を飲んで、明日もまた頑張りたい。

 

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第1章 現場から 第2話「不思議な灯」

 昭和二七年十月。当時私は、鳥取営林署管内の霧ヶ滝森林鉄道敷設工事の監督補助員として、主任と共に現場近くの山小屋に起居していた。

 バスの終点である田中部落から二キロ奧に貯木場があり、そこから森林鉄道で再び二キロ上がった川向かいにその山小屋がある。山の中の寂しい一軒家であり、無論、電気などはなく、夜はランプ生活である。

 

 事件が起こった当日、主任は打ち合わせのため朝から出署し、夕方帰る予定であった。

 私は自炊による山菜料理を作ると、主任の帰りを待った。谷間の日が落ちて幾時も過ぎ、時計は既に九時を回ろうとしている。バスの最終時刻から計算しても、主任の帰りが余りにも遅すぎる。心配する気持ちに寂しさも加わり、私は森林鉄道の方をぼんやりと眺めていた。

 その時である。

 森林鉄道の軌道の上を、輝きを失った薄暗い懐中電灯を振りながら、こちらに近づいてくる人影が見えた。

 森林鉄道の軌道から川をまたぐため、五メートル程の丸太がかけてある。

 「あんな薄暗い懐中電灯で、もしも主任が丸太橋から落ちでもしたら」

と思った私はカーバイトランプを提げて川向こうの軌道に急いだ。

 その間も、薄暗い橙色の光は、丸太橋へと間違いなく近づいていた。

 足元を照らしながら丸太橋を用心深く渡った私は、当然、そこに主任が到着しているものと思っていた。

 しかし、森林鉄道の軌道上に立った私のランプに照らし出される範囲には、どちらを向いても人影らしいものが全く見当たらない。

 「おかしいな、ひょうきんな主任のことだから、その辺に隠れて私を驚かすつもりかな」

と思ってしばらく辺りを見回したが何も見えない。

 

 キツネにつままれたとは、まさにこのこと。

 冷たいものが背筋を走り、今まで体験したことのない恐怖感が全身を襲ってきた。橋を渡るまで確かに見えていた灯りが、橋を渡り終えた途端に消え失せるなんて、到底考えられない。

 私は探した。恐怖心を抑えて探し続けた。しかし結果は徒労に終わった。結局、錯覚だったのかも知れないと自分に言い聞かせて小屋に戻り、予定の時刻を過ぎても戻らない主任を恨みながら一人で遅い夕食をとった。

 それから三〇分後、明るく輝いた電灯を持った主任が

  「貯木場で話し込んでしまい、遅くなってしまった」

と言いながら帰ってきた。

 私は、今までの出来事を一部始終話したが、期待していた同情も慰めの言葉もなく

 「目の錯覚だよ、ハッハッハ・・・」

と一笑に付されてしまった。

 私も不本意ながら、錯覚であったと信じることにした。

 

 工事も完了し、その小屋を引き上げる日、主任は、小屋の前の軌道を敷設する工事で作業員が一人死んだこと、そして、私が見たような灯りを主任も見たことを話してくれた。 

 そして、私がこんな山中でのランプ生活を怖がらないよう、目の錯覚ということにしたとのことであった。

 常識では考えられないような不思議な出来事に、山中での生活は時に遭遇することがある。

 時折聞くことのあるキツネ灯の話を、私は頭から否定することが出来なくなってしまった。

 むしろ、キツネ灯という言葉で表現されている何らかの発光現象を、今もどこかの山中で誰かが見ているかも知れないと思う。

 

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第1章 現場から 第1話「ある入山日」

 深い雪に埋もれたここ金木戸にも、ようやく春が訪れた。四月一日、神岡営林署金木戸製品事業所の入山日である。

 標高九百九十メートルにある中の又事務所の積雪は五〇センチほどであるが、標高千三百二十メートルに位置する作業員宿舎は例年、三メートルもの雪に埋もれる。

 毎年の入山ではあるが、常に私に、新しく仕事に向かうのだという気持ちと同時に、しばらく離れていた故郷、住み家へ帰るような懐かしい感情を抱かせる。

 

 四月一日、朝五時起床。

 朝食を手短に済ませると、直ぐに寮を出発。オートバイに飛び乗る。

 さすがにオープンカーは寒く、ブルで除雪しただけの林道はガラガラと落石が転がっており、非常に危険である。運材が始まるまで、林道を保線する人たちは大分苦労するのではないかと、早くも心配する。

 事務所に着くと、早速、作業員たちに辞令を渡す。

 「今年も頼むぜ」

 「やらまいかの」 

 四か月ぶりの再会である。高山市内から二時間もかけて原付き自転車で完全武装して来る者、自家用車の相乗りで荷物をトランク一杯詰めて来る者、営林署のマイクロバスで来る者。昨日まで山で働いていたかのように、少しも変わらず元気で挨拶を交わす。

 

 ここから作業員宿舎に向かって、途中まではジープで進めるが、そこから先は徒歩。前の人の足跡を追いながら最初は話もはずむが、四時間も歩くとさすがに口をきくのも嫌になる。

 すっぽりと雪に埋もれた作業員宿舎に午後二時に到着。

  一服して、早速、宿舎整理に取りかかる。

 まずは暖房と水の確保、と言ってもスイスイと台所に水が流れてくる訳ではない。谷に流れる沢水を雪の中から見つけ出すのに二百メートルほど歩く。疲れた体に雪を掘る気力もないが仕方がない。 

 炊事手さんも我々と同じく歩いてきたのだから、こんな時こそ男の中の男と張り切ってはみるが、さっぱりはかどらない。

 出入口の除雪、窓の雪囲い板の撤去、宿舎内の清掃と畳ひき。とにかく今晩寝られるようにしなければならない。手の切れるような水で米を洗い、生活の第一歩を踏み出す。

 

 その夜は、今年一年、安全・健康で無事に仕事が終えるよう皆で入山祝いを行う。

 用意してきたとんちゃんで一杯やる。疲れのせいか酔いが早い。御神酒がまわる。めでたが飛び出す。神岡音頭、越中おわら、次から次へと歌が続く。

 これが入山一日目である。

 明日から十二月十日の下山まで、皆で協力してやっていくのだ。しばらくはもたつくかも知れないが、積極的に仕事に向かっていき、今年もやろうと決意を新たにする。

 

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