昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第1章 現場から 第2話「不思議な灯」

 昭和二七年十月。当時私は、鳥取営林署管内の霧ヶ滝森林鉄道敷設工事の監督補助員として、主任と共に現場近くの山小屋に起居していた。

 バスの終点である田中部落から二キロ奧に貯木場があり、そこから森林鉄道で再び二キロ上がった川向かいにその山小屋がある。山の中の寂しい一軒家であり、無論、電気などはなく、夜はランプ生活である。

 

 事件が起こった当日、主任は打ち合わせのため朝から出署し、夕方帰る予定であった。

 私は自炊による山菜料理を作ると、主任の帰りを待った。谷間の日が落ちて幾時も過ぎ、時計は既に九時を回ろうとしている。バスの最終時刻から計算しても、主任の帰りが余りにも遅すぎる。心配する気持ちに寂しさも加わり、私は森林鉄道の方をぼんやりと眺めていた。

 その時である。

 森林鉄道の軌道の上を、輝きを失った薄暗い懐中電灯を振りながら、こちらに近づいてくる人影が見えた。

 森林鉄道の軌道から川をまたぐため、五メートル程の丸太がかけてある。

 「あんな薄暗い懐中電灯で、もしも主任が丸太橋から落ちでもしたら」

と思った私はカーバイトランプを提げて川向こうの軌道に急いだ。

 その間も、薄暗い橙色の光は、丸太橋へと間違いなく近づいていた。

 足元を照らしながら丸太橋を用心深く渡った私は、当然、そこに主任が到着しているものと思っていた。

 しかし、森林鉄道の軌道上に立った私のランプに照らし出される範囲には、どちらを向いても人影らしいものが全く見当たらない。

 「おかしいな、ひょうきんな主任のことだから、その辺に隠れて私を驚かすつもりかな」

と思ってしばらく辺りを見回したが何も見えない。

 

 キツネにつままれたとは、まさにこのこと。

 冷たいものが背筋を走り、今まで体験したことのない恐怖感が全身を襲ってきた。橋を渡るまで確かに見えていた灯りが、橋を渡り終えた途端に消え失せるなんて、到底考えられない。

 私は探した。恐怖心を抑えて探し続けた。しかし結果は徒労に終わった。結局、錯覚だったのかも知れないと自分に言い聞かせて小屋に戻り、予定の時刻を過ぎても戻らない主任を恨みながら一人で遅い夕食をとった。

 それから三〇分後、明るく輝いた電灯を持った主任が

  「貯木場で話し込んでしまい、遅くなってしまった」

と言いながら帰ってきた。

 私は、今までの出来事を一部始終話したが、期待していた同情も慰めの言葉もなく

 「目の錯覚だよ、ハッハッハ・・・」

と一笑に付されてしまった。

 私も不本意ながら、錯覚であったと信じることにした。

 

 工事も完了し、その小屋を引き上げる日、主任は、小屋の前の軌道を敷設する工事で作業員が一人死んだこと、そして、私が見たような灯りを主任も見たことを話してくれた。 

 そして、私がこんな山中でのランプ生活を怖がらないよう、目の錯覚ということにしたとのことであった。

 常識では考えられないような不思議な出来事に、山中での生活は時に遭遇することがある。

 時折聞くことのあるキツネ灯の話を、私は頭から否定することが出来なくなってしまった。

 むしろ、キツネ灯という言葉で表現されている何らかの発光現象を、今もどこかの山中で誰かが見ているかも知れないと思う。

 

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