昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第9章 心に残る話 第44話「山のことわざ」

一本切って百本植えよ

 一本の木を切ったら、お返しに百本の苗木を植えるほどの気構えで植林に励めという意味であろうが、それでは前進がないので、一本切って収入をあげたら、新たに土地を求めて百本植林せよという、積極的な造林投資とも読むことが出来る。

 

山の肥料はワラジ

 古いワラジを埋め込んで肥料にする訳ではない。こまめに山を見回って、つるを外したり、傾いていたら起こしたりといった緻密な保育が、肥料をやるほどに効果を発揮するのである。

 

山は長者のヒゲ

 山はお金持ちの自慢の種という意味ではない。山林は利回りが悪く、経済的には大した価値がない。言うなれば長者のヒゲのようなものだという意味である。大阪地方には「山三分」というたとえがあり、これも、山の利回りは年三分程度で、あまり有利ではないという意味である。

 

土二文 木八文

 農山村では、木のない山の経済価値はきわめて低い。一般には、木の価格はもっと高い比率を示すであろうが、木のない山は、山にして山でないといったところであろう。

 

水一升 木一升

 水は植物の生育に重要なことから、「土一升 金一升」に語呂をあわせて作られた言葉である。

 

翁遊ばしても 山遊ばすな

 老人を無理に働かせなくても大した支障はないが、山は切ったまま遊ばせておくのは大変無駄であり、直ぐに造林せよという意味である。個人経営の面からも、国家的見地からも損失である。

 

間伐は 外を切らずに中を切れ

 間伐直後、暴風にあっても著しい被害が生じないよう、林縁の二、三列は間伐も枝打ちもしないということである。

 

植える馬鹿 見る馬鹿 伐る馬鹿 馬鹿三代で山一代

 自分の代には何ら収益を望めないのに植林に努めた初代、植林もせず伐りもせずにただ眺めて暮らした二代目、育てた木を伐ってしまった三代目。どれも余り利口な人とは言えない。しかし、このような馬鹿が三代そろって、はじめて一代の木材生産が完了する。初代が山以外に投資し、二代目が未熟材を伐採したら、そこまでの話である。なるほど馬鹿三代かも知れぬが、林業生産の立場から言えば、最も賞賛すべき、偉大なる馬鹿三代だと言える。

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