昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

このブログは、昭和40年代に全国の営林局が発行した機関誌の中から、現場での苦労話や楽しい出来事、懐かしい思い出話などを選りすぐり編纂したものです。

第3章 営林署から 第18話「もしもし、ここの渓谷の植物は採ってはいけませんよ」

観光地を訪れる登山客、散策者は十人十色、千差万別である。

 登山道にしゃがみ込み、可憐な草花をじっくり眺めては立ち去るマナーの良い人もいれば、ビニール袋を取り出しては「ちょっと失敬」と持ち去ろうとする人もいる。

 本格的な盗掘行為はさておき、国有林野内を歩いていて、偶然、こうしたマナー違反を発見した場合、注意せざるを得ないのが担当区主任の役柄であるが、相手とのことを考えると、いささか気の重いところもある。特に、こちらが独身で相手が妙齢の御婦人となると、対応も一筋縄ではいかない。

 

(泣き落とし型)

 「もしもし、ここの渓谷の植物は採ってはいけませんよ」

  「すみません、知らなかったもので・・・」

  「おかしいですね。あちこちに大きな標識があるはずですよ。お母さんがそんなことをしてもらっては困ります」

  「どうも済みません。子供が欲しがったものですから」

  「二度としないで下さいね」

 「本当に済みません・・・。子供がどうしてもと言うものですから」

 「・・・」

 子供を前面に出し、やんわり来られると、なかなか次の言葉が出てこない。

 

(喧嘩腰型)

  「もしもし、ここの渓谷の植物は採ってはいけませんよ」

  「あら、一本ぐらい、いいじゃないの」

  「あなた、一本ぐらいと言いますけどね、この山には年間二十万人の人たちが訪れるんですよ。そのうち半分の人がもし、あなたのように一本ぐらい採ったとしたら、一年に十万本もの植物がなくなるんですよ。よく考えて下さい」

  「ここはあなたの山ではなくて、国民の山でしょう。ケチケチしないでよ」

  「それはそうです。国民の山です。しかし、あなただけの山でもないんです。国民全体の財産です」

  「いいわ、返せばいいんでしょう」

  「そうよ、この人に、返してしまいましょう」

 多勢に無勢。しかし、ここで負けてはいられない。 

  「返す、返さないの問題じゃなく、モラルの問題です」

 「あなた、若いのに割合くどいのね。それじゃ結婚出来ないわよ」

 「・・・」

 そう言われては、もはや返す言葉がない。草花を黙って受け取り、あとは、ご婦人方がその場を離れてくれるのをひたすら待つしかない。残されたのは、手の中にある無造作に置かれた草花と、言いようもない空しさばかり。

 

(お色気型)

 「もしもし、ここの渓谷の植物は採ってはいけませんよ」

 「あら、すみません。でもこの草花、とっても可愛らしいんですもの」

 上目遣いにニッコリして、もう一言。

 「この花なんというのかしら、ご存じ?」

  「ああ、これですか、ウチワダイモンジソウですよ」

  「よくご存じね。もう少し欲しいわ」

  「それなら向こうの岸壁に多いですよ。・・・あ、いけませんよ、これ以上採っては」

 我も人の子。美人には弱い。

 

(高圧型)

 「もしもし、ここの渓谷の植物は採ってはいけませんよ」

  「こんなちっぽけな木の五、六本いいでしょう。大人げない。あなた、一体何者? 」

  「私ですか。営林署の職員ですよ」

  「営林署? そんなの聞いたことないわね。何やってるの? 」

  「農林省出先機関で、国有林の管理や経営をやっています。この遊歩道などの施設の管理も我々が行っています。ですから・・・」

 無論、当方の説明など聞いてはいない。胡散臭い目でにらみつけながら

 「今頃、外材だって入るのに、営林署なんてまだあるの。あなた、上手いこと言うけど、つまり山師でしょう」

 やれやれ、山師とまで言われては・・・

 

 こうしたマナー知らずのハイカーが、ひとたび下界に降りると、今度は攻守ところを変えて「自然破壊反対」と叫ぶのではないかと、いささか心配になってくる。

 管内に観光地があると、人には「いいですね」とよく言われるが、他人には話せない観光地ならではの苦労もまた、別にあるのである。

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第3章 営林署から 第17話「山火事」

四月も下旬に入り、萌黄色の若葉が山々を包み始めると、山火事の危険は一応薄らぐ。

 瀬戸内地方の山火事は、三月をピークに一月から三月にかけて集中的に発生しており、四月に入ると急激に減少する。

 しかしながら、昭和四十六年四月二十七日昼過ぎ、「大積山付近で山火事発生」との一報が西条営林署に入った。

 詳細が分からないまま、まずは署の先発隊五名が現地へと出発する。

 第二班以下は待機の姿勢で、そのまま業務を行う。

 午後二時半、先発隊から連絡が入った。

 「火はすでに大積山国有林に入っており、猛烈な勢いで延焼中である。第二班以下は至急出動されたい」

 その声色には普段と違ったただならぬものが感じられた。

 こうして営林署のみならず、消防署や消防団などの関係機関から人員が続々と繰り出され、以降、二十時間余にわたる消火活動が開始された。

火は消火隊の隙をついて、ある時は緩く、ある時は急に、また場合によっては爆発的な動きを見せる。現地の地形、林相、気象条件によって火の姿は刻々と変化する。

 例えば、谷から尾根筋に吹き上げる火は、途中でどのような防火線をつくっても阻止出来ないほど凄まじいものである。

 また、火は、可燃物の乾燥度合によっては驚くほど行動範囲を広げ、動きも敏速となる。

 

 呉市消防局員十八名のいたましい事故は、こうした状況の中で起こった。

 標高六百メートルの尾根から東南にのびる斜面は長大であり、そのはるか下方で火は燃えていた。あたりは伐採跡地であり、伐り残しの灌木と散乱した枝条があるだけで、遮るものもない。斜面のすぐ東隣りには細長い幼齢林の帯をはさんでヒノキの壮齢林がひろがっている。

消防局員十八名は、このヒノキ林に火が燃え移るのを防ぐため、その手前で防火線を切ろうとしていた。彼らの判断に誤りはなかったはずだ。

火ははるか数百メートルの下にあり、周辺には多くの同僚、消防団自衛隊の各員がそれぞれ活動していた。日はまだ高い。今のうちに作業を進めなければ・・・

 

 こうした中、現地では恐ろしい状況が進んでいた。空中湿度の極端な低下である。

 二日前から広島県下には異常乾燥注意報が出されていた。午前十一時の湿度は十九%。気温の上昇とともに湿度はなお下がり続け、午後二時、呉市測候所の湿度計は十四%を記録していた。ちょうど十八名の隊員が作業地点を目指して下りかけた頃である。

 一陣の突風が火を煽り立てた。

 それまで下方で燃えていた火は急に勢いを増し、尾根を飛び越えざま、突如として伐開作業中の十八名の背後を襲った。

 飛び火である。目撃者の話によると、全く火の見えなかった小尾根の裏側から、旋風で舞い上がった火が二~三百メートルもの上の斜面に飛び移ったという。

 伐採跡地にはもろもろの可燃物が堆積している。一見なだらかに見える谷間も切り捨てられた枝条でいっぱいだ。火は獲物を得て一気に燃え上がった。雨後の湿った空気の中ではいくら燃やそうとしても火のつかない枝条であっても、空気の乾燥とともに恐ろしい爆発物へと変わる。

 見通しのきく、燃えるものもないような斜面が、実は大きな誤算を招いた。立木があれば、いくら火の勢いが強くても燃え上がるスピードにはブレーキがかかる。火に対する生きた木の抵抗があるからだ。この場合、その助けもなかった。火は一瞬にして十八名の隊員を取り囲み、その退路を断った。この間わずか数十秒の出来事である。やがて火はジェット機のごう音を思わせる傲然たるうなりを上げ、十八名を呑んだまま一気に六百メートルの斜面を駆け登った。

 山林火災史上、例をみない惨事はこうして起こったのである。

爆発的に燃え上がる火も、ひとたび尾根を登りきれば火勢は衰える。

 消火活動は、この時を狙って行うのが山火事消火の定石であり、尾根にしっかりした防火線があれば大抵の火はそこで食い止められるが、火は、人の盲点をついて襲ってくる時がある。

 呉市消防局員十八名の霊に合掌しつつ、あらためて山火事の恐ろしさをお伝えする次第である。

 

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第3章 営林署から 第16話「公売雑感」

公売会場に一歩足を踏み入れると、そこは、タバコの煙がもうもうと立ちこめる別世界。喧噪やかましく、百人を越す業者の人たちの声でざわめく。営林署の係官が札を整理し、結果を発表する直前までこの状態が続く。

「ただ今から入札結果を発表します」

 会場は急に静まり、ときおり、際だって高い札の読み上げがあると「オー」という驚きの声とため息が聞こえてくる。

参加者が多く、活気があるほど入札結果は良好である。

 

業者は、公売にのぞむ前、公売物件を十分に下見し、各人独特の符号を使って金額を計算する。

 会場の雰囲気や参加者の顔ぶれなどから、自分の計算結果を積み上げ勝負に出る。これも金利と利潤を考えてのことだから、商売とは厳しいものである。

 入札金額を見ると、土木工事の場合は普通万円どまりだが、木材販売では十円単位のものを多くみかける。三百万円、五百万円といった椪でも九九〇円とつけている札がある。中には九九九円と細かく記入された札も珍しくない。椪によっては僅少の差で落札が左右されるため、公売という場での特殊な心理によるのだろう。

 また、元来、木材の取引はきめ細かく行われる。七十、八十立方メートルの丸太が、筏に組まれて水門を出る時には十数口に分けられ取引されることも少なくない。

 細かい神経を使う商売である故に、札に現れる金額もいきおい細かくなるようである。

 

 椪の中には入札枚数が極端に多く、特に、上位の札が競い合い、大接戦となる場合がある。また、一方では応札数がごく僅かで、しかも一番札と二番札とがかけ離れている場合がある。

 素人考えでは、接戦の勝者である落札者は気分爽快で儲けも多いのではないかと思う一方、他に応札者がいない時の落札者は何か見込み違いでもしたのかと、常連のお客ゆえにいささか同情的な気持ちになることがある。

 ある時、この話を業者にしたところ、競争が激しく札の接近した椪を落札した場合は気分が良いかも知れぬが、余り儲からない。むしろ、札が離れて落札した方が儲かるという。

これは解せない。

 その理由は如何なるものかと聞くと、彼氏いわく。競争の激しい椪は、誰もが欲しいが故に現物を徹底的に見て、予定一杯に額を見積もるから札も接近する。ところが、札が少ない場合、十分に見ていない人が多いため、札が飛んでいても自分さえ中身を吟味していれば、上手な買い物となり儲かるのだと言う。

商売とはそういうものかと感心はしてみたが、解ったような解らなかったような、素人の悲しさである。

 

 国有林を退職してある事業を経営していた先輩がいわく、売掛金を回収するために何度か足を運んでは、その都度、金がないことを聞かされると気の毒になって足が遠のいてくる。

 また、反対にこちらが催促されると、悲しいかな無理しても払うようになる。

 結局は手許の資金が徐々に減っていく。とかく役人をやった者は正直過ぎてうまくゆかんですと。

 金儲けがいかに難しいものかを、体験を通じて教えてくれた。

 

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第3章 営林署から 第15話「えりもの治山事業」

えりもは、今から約三百年前の寛文年間には既に和人が移住し、海藻類や魚介の採取によって生計を立てていたと伝えられる。その頃、現在の国有林はまだ未開地であり、高台はカシワやミズナラ、低地はヤナギやハンノキを主体とする広葉樹林であったが、風雪に痛めつけられ、やっと地表を覆っている程度に過ぎなかった。

 こうした原生林も、江戸時代末期、和人が本格的に移住したことに伴い、家屋の建築資材や燃料用として伐採が進み、更には伐根まで掘り出して燃料としたため、急速に荒廃した。

 さらに、風速十メートル以上の日が年間二百七十日以上にも及ぶという厳しい気象条件によって、約四百ヘクタールの国有林のうち半分近くが裸地化し、残りも密度の低い草生地となった。

そして、地表の土砂は激しい風で海中に吹き飛ばされ、海藻類が住みつく岩礁に泥となって堆積した。このため、コンブなどの生育は阻害され、また、回遊魚も寄りつかなくなって水揚げ高も次第に減少した。

 さらに、家の中は戸を閉め切っても舞い込む飛砂のため寝食にもこと欠き、飲料水は濁り、眼病も絶えないなど、地元の人たちの生活を脅かすほどとなった。

 こうしたことから、昭和二十八年、浦河営林署にえりも治山事業所が設置され、はげ山回復の第一歩が踏み出された訳だが、えりもの復旧への基礎を作ったのは誰かと問われれば、私は即座にゴタだと答える。

 ゴタは冬の荒海により大量に海岸へと打ち寄せられる雑海藻の総称で、地元の人にとっては、役に立たない嫌われものであるが、もともと、このゴタは、緑化に使う堆肥の量を増やすための単なる混ぜものにすぎなかった。

 しかし、最初に行った葦簀張工や粗朶伏工ではすき間から強風が入り込み草本類が上手く活着しないため、試験的にゴタを葦簀や粗朶の下に薄く敷き込んでみたところ、ゴタの適度な粘り気と湿気が風を防ぎ、海藻類の茎のからまり合いの中から牧草の芽が出てきた。

 このため、これをさらに一歩進め、ゴタをやや厚めに敷き詰めることとし、施肥、地表かくはん、播種、覆土の上にゴタ被覆という工法を試みることとなった。

 結果は非常に良好で、風による飛散も起こさず、また、当初危惧された塩害も見られなかった。

そこで、葦簀や粗朶は地元での入手が困難なこともあって、粗朶伏工は思い切って取り止めることとし、急斜面はゴタを敷き込んだ葦簀張り、緩斜面や平地はゴタ被覆によることとした。

 また、ゴタの採取は、当初は少量のため作業員が直接行っていたが、徐々に使用量が増えたため資材購入に切り替え、単価を決めて誰からでも購入することとした。

 

ところが、ここで地元の漁業組合からクレームがついた。

 海藻類の採取権はそもそも漁業組合にあり、治山事業所が誰からでも買うとなると、浜の権利のない者も採取してしまう。そこで、採取者からは漁業組合に賦役金(手数料)を支払ってもらうというのである。

 私は、電話で話を聞いているうち頭に来た。これは、すなわちピンハネであり、漁協は自分の都合のいいことばかり言っている。部落のため、漁民のためにこの大変な仕事をやっているのに、ろくに協力しないばかりか文句ばかりつけてくる。売れるようになったからといって、ゴタに漁業権を主張するとは何事だ。それも、単に電話一本で通告してくるとは、何ということだ。

電話では組合長をどなり返したものの、ゴタの資材価格が高くなると工事に影響するし、かと言って漁協の言い分も無視する訳にはいかない。何か良い方法はないかと考えると、頭は痛かった。

そこで、ええい、ままよと腹を決めることとした。海千山千の組合長相手には意表を突くに限る。先手を打ってこちらから漁協に出向き交渉することとした。

 漁協の事務所に入るや、ニコニコしながら直接、組合長の前に行き、電話での非礼を詫びては腹をを割って相談に乗ってくれと持ちかけた。

 まずは予算の事情、事業所の将来の見通し、ゴタの効用その他、誇張を交えながら話し、おもむろにこちらの主張を切り出した。

 ゴタの採取は一括して漁協に請け負わす。大量になるかも知れぬが、必要量は無理をしても採取してもらいたい。部落民には漁業権のない人も多く、貧困家庭も多いので、浜の権利のある人のみに限定しないでほしい。また、購入単価は今の価格を上回らないようにしてほしいが、漁協は取りまとめが必要だろうから、その分ぐらいはプラスとしても仕方がなく、こういう事で手を打とうとしたのである。

 

これでゴタのごたごた問題も一件落着となった。

 えりもの治山事業を懐古するたびに思い出すのは、ゴタの山であり、ゴタの半腐れの臭いであり、このゴタ論争である。まことにゴタとはいみじくも名付けたものであり、今更ながら、ゴタの功績を称えている次第である。

 

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第3章 営林署から 第14話「出納員哀歌」

営林署の経理課にいると、必然的にやらなければならない仕事の中に支払いがある。

 現金出納員として、此方の谷の部落からそちらの野辺の部落へ、山を越え、谷を横切って、国有林の仕事に出役した人達の賃金を支払って回るのである。

 また、現場で購入した石油、砥石等の物品代や、オートバイ・刈払機の修繕代の支払いなどもある。

 とにかく、そんな種類の代金をリュックサックに詰め込み、オートバイに乗って石ころだらけの道を走り回るのは並大抵のことではなく、あらかじめ担当区主任を通じて連絡はするものの、何らかの都合で約束していた時刻に到着出来ないこともしばしばある。

 

植付や下刈の場合は大勢の人夫を必要とすることから、地元から何十人、多い時には百人以上の人たちをまとめて雇用する。

部落によっては、この時期は国有林の仕事しかないような所もあることから、翌月の支払い日にあっては、出納員の到着が少々遅れても、皆、支払いが来るのを待っている。

一方、林野巡視や境界巡検などの仕事は、どちらかと言うと散発的であり、ある部落からの出役は、ひと月に僅か一人、しかも出役日数は三日間程度といったことも珍しくはない。

しかしながら、支払いは一人でも百人でも同じであり、よくもこのような山の中に住んでいるものだと感心するような平家の落人部落のような所でも、たった一人のために出掛けて行く訳であるが、ここでもう一つの苦労がある。

 

 国有林の巡視を手伝うような人は、大抵、その部落の中でも信用確実な人である。あいていに言えば資産家である。したがって、営林署から支払われる僅かな賃金などあまりアテにしていない。

 このため、出納員が、何らかの都合で、あらかじめ連絡していた時刻に姿を見せない場合、相手は、待っていた時間に営林署の人が来ないから「それではちょっと畑まで行って来ようか」ということになるが、こんな山の中のちょっととは最低でも一時間で、出たが最後「半日帰って来なかった」ということも珍しくはない。

 また、受取を任された奥さんも、「ちょっとその辺りまで」と牛の草刈りに行ってしまったり、中には、営林署から支払いが来ることをすっかり忘れ、朝から夫婦そろって畑に出てしまうようなこともある。

 そんな所へ悪路と戦い、やっとたどり着いた時の出納員の気持ちほど、惨めなものはない。

 田舎だから家の鍵などかけてあるはずもなく、玄関に腰をおろして誰かが現れるのを気長に待つしかないが、どうかすると、待機の姿勢に移る前に、腰の曲がった婆さんがひょっこり母屋の裏手の方から現れることがある。 

 だが、そんな婆さんは耳が遠いのが普通で、耳元で怒鳴っても、その土地の言葉で言わないとなかなか通じない。

 「営林署から支払いに来ました。ご主人はどこに行かれましたか」

 ようやくこちらの目的が分かっても、その婆さんの答えは

 「ああ営林署の人かい。息子は先刻までいたがのう」

 この婆さんの「先刻」は五分前か一時間前か、知る由もない。

 

  婆さんが現れない時は、青ばなを垂らした子供が奧から姿を見せる。うさん臭そうな目つきで、上から下まで出納員をじろじろ見る。

 「父ちゃんはどこへ行った」

 「父ちゃんは畑だ」

 「畑はどこだ」

 「畑はあっちだ」

 「あっちはどっちだ」

 「秀ジイの畑のとなりだ」

 これでは話にならない。

  山奧の部落に行くと、こんなことはザラにある。 

 大体、昼間はこんな調子だから、支払いに限らず、担当区の仕事は、農作業が終わる頃を見計らって相手を訪問することが多い。再度、こんな山奥に来ることを考えれば、この方がはるかに効率的である。

 

 営林署を出発する時、旅行命令と同時に、別段、指示は受けていなくても、善良な職員は、仕事を一刻も早く、かつ、確実に済ませるため、真っ暗な山道をヘッドライトを頼りに走り回る。

 事情を知ったやつに待ち伏せされ、棍棒でポカリとやられたらどうしよう。多い時には百万円以上、少ない時でも二、三十万円の現金は大抵、持っている。ハンドルを握りながらそんなことをふと考えて、思わず、ゾッとすることがある。

 しかしながら、国有林がそこにある限り、出納員は、危険と現金を一杯にはらませたリュックサックを背に、営林署から東へ西へとオートバイを走らせていくのである。

 

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第2章 営林局から 第13話「林業体操」

午後三時きっかり。

 スピーカーから林業体操前奏曲の軽快なメロディが流れてくる。皆が一斉にペンや計算機を置いて立ち上がる。そこで聞き覚えのある局福利厚生課課長補佐の田畑さんの声が入ってくる。

 「さあ、元気で林業体操を始めましょう」

 続いてあまり歯切れは良くないが、そのため、かえって親しみのある塩谷先生の号令。

 実に気持ちがいい。爽快だ。みんな熱心にやっている。

 右を見ても、左を見ても、みんな元気にやってる、やってる。

 

業間体操は、今までも厚生課として実施を考えてきたようであるが、今回、健康の維持増進、作業の安全確保・能率向上を狙いとして全面的に取り入れ、林業体操として普及することとなった。

この体操は、始めてからまだひと月にしかならないが、年輩の人にも女子職員にも喜んで受け入れられている。その理由は何だろうか。

 第一は、丁度、気分転換を必要とする時間にタイミングよく行われることである。難しい仕事に頭を抱え一服したくなる人、単調な事務に飽きた人など、軽い体操ですっきりした気分になる。

第二は、林業体操は誰でも出来るやさしいものだからである。塩谷先生が言うとおり、体操の基本は「まげる・のばす・まわす」の三つであるが、この動作が上手く組み合わさっている。

 第三は、所要時間が二分三十秒とちょうど手頃なことである。

 

こんな短い時間で、気分が爽快になり健康に大変良くなった。

 局内での会合でも、あのメロディが流れると

 「まず体操をやろう」

ということで、ワイシャツ姿となって気分を一新し、また、仕事に戻るという姿がしばしば見受けられるようになった。

 体調を整え、ある程度体力に自信を持つことが出来るのも、林業体操のおかげだと思っている。

 

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第2章 営林局から 第12話「保安林買い入れ調査」

昭和二十九年度から始まった保安林買い入れも今年で十四年目。今回の買い入れ予定地は標高四百メートルから千百メートルまでの、約一千ヘクタールの天然林である。

 現地調査は五月末から九月上旬まで、五人の調査員が各人八十日の予定で行う。作業は境界確定から始まり、林相区分の設定、河川、峰、崩壊地などの測量、標準地による立木調査を行う。使われなくなった林業会社の事務所に仮住まいし、各人が寝食を共にする。

 

 刈り払った尾根を歩いていると、クマの糞にお目にかかることが多い。また、クマが腐った木の株を掘り起こし、アリを食べた跡を見かけることもある。

頭数が多いのはサルである。だいたい二十から四十頭ぐらいの群れに出くわすが、一人で山を歩いている時などは、あまり気分のいいものではない。

 数年前、境界標に番号を記入している時、すぐ目の前に、大きなサルがのこのこと現れ、じっと私のことを眺めていた。人間の仕草にさぞや興味がわいたのであろう。

 また、この地方はマムシの産地でもある。朝、二、三匹のマムシが、お互いに喧嘩をする訳でもなく、一箇所に仲良くトグロを巻いていることがある。不幸なことである。彼らは見つかったが最後、その場で皮を引き剥かれ、フキの葉に包まれリュックへと収納される。そして、休憩の際にはこんがりと焼かれ、我々調査員の明日へのエネルギー源となるのである。

   

 現地調査を重ねると、事務所からの通いではどうしても行けないところが出てくる。そうした時の天幕生活も、二日か三日であれば結構楽しめるが、一週間以上と長期に及んだり、連日雨模様であったりすると、いかに山官といえどもうんざりしてくる。外業から来る身体の疲れをとることが出来ず、それ以上に精神的な疲労を覚える。

 ただし、楽しみもある。あまりの奥地であるが故にイワナやヤマメは無数に捕れるし、秋が近づくと天然舞茸を味わうことも出来る。また、ドンコツ(カジカのこと)やアジメ(ドジョウの一種)などはバケツ一杯も収穫出来、これを山椒の葉と醤油で煮れば、手頃なおかずとなる。

 こうした時には疲れも忘れ、山官として楽しい一時を過ごせる。

 

 山の中で毎日を過ごしていると、同じ顔ばかり見ることから、たまに局署からの出張者に出会ったりすると何故か家族のことを思い出し、無性に懐かしさを感じる。

 今年の夏は、デパートでカブトムシが一匹五十円で売られているそうだが、夜、灯りの下にスイカの皮を置いておくと、大きなカブトムシが沢山飛んでくる。

 お盆休みに入ったら、子供達へのおみやげにと思っている。

 

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